1. コラム

2015年9月4日

【四海茫々】(165)向う傷

 日本郵船の稲田徹さんは、行方不明の幽霊コンテナを探してリビアに入国し、そこでスパイの嫌疑をかけられ石牢に収監された。  昔からコンテナを無法に流用あるいは放置するケースは呆れるほ続き

2015年8月28日

【四海茫々】(164)入牢うたた凄然

旅館の寒灯 独り眠らず 客心 何事ぞ転た凄然たる 故郷 今夜 千里を思う 霜鬢 明朝 また一年  8世紀、唐・玄宗皇帝時代の官僚、高適(こうせき)が詠んだ七言絶句。『除夜作』と題さ続き

2015年8月21日

【四海茫々】(163)百年河清を待つ

 高橋宏さんの話を1985年(昭和60年)に戻したい。当時、氏は記者にこう語った。  「郵船は“社稷の臣”の集まりだ。みんな会社良かれを思って大きな声を揚げ、北米定航の針路を巡って続き

2015年8月14日

【四海茫々】(162)韜晦

 高橋宏さんは文武の人である。新潟県立新発田中学時代、柔道と書道に打ち込み、さらに英語に親しんだ。いずれも第一級の先達に師事して技量と知識を高め、身体と精神の基本を養った。意趣の広続き

2015年8月7日

【四海茫々】(161)オレは言ってない

 石原慎太郎氏に対しては「デストロイヤーに違いない」との先入主があった。  ドナルド・キーン氏は著書『果てしなく美しい日本』の中で「石原慎太郎が名声を確立したのは、息子が父親を襲い続き

2015年7月31日

【四海茫々】(160)郵船社長を狙うな

 高橋宏氏にまつわる話となると、材料がいくらでもあり取捨に迷ってしまう。が、盟友石原慎太郎氏との交流および日本郵船社長人事の?末に関する2題はどうしても外せない。  1988年(昭続き

2015年7月24日

【四海茫々】(159)吠えまくる

 邦船3社6氏を受講生とする“黒船研修”は1967年(昭和42年)1月から7月まで6カ月間に及んだ。同研修の終了と同時に日本郵船の高橋宏氏はイスブランセン社への出向研修とニューヨー続き

2015年7月17日

【四海茫々】(158)儒家と道家

 高橋宏氏は1963年(昭和38年)7月から4年間、ニューヨーク支店に勤務した。うち最後の6カ月間はアメリカン・エキスポート・イスブランセン・ラインズ(AEIL、本社:ニューヨーク続き

2015年7月10日

【四海茫々】(157)黒帯が副業に

 日本郵船は日本を代表する海運会社として世界にその名を知られている。が、場所によっては郵船の盛名を凌ぐ同業他社が存在したし、NYKと言っても相手から「what?」「who?」と訊か続き

2015年7月3日

【四海茫々】(156)ダーティハリー

 高橋宏さんが口にした「社稷」をものの本で勉強すると、社はもともと地の神や水の神を意味した。やがて樹木、石、土壇など原始集落の中心となる標象、つまりランドマーク(目印)を祈りの対象続き

2015年6月26日

【四海茫々】(155)社稷の臣

 何事であれ、日本郵船は社内の議論が賑やかな会社である。  情報、意見を広く集めればそれだけ先行きの展望が利くようになるし、社内の風通しも良くなる。郵船の美風に違いないが、時として続き

2015年6月12日

【四海茫々】(154)主戦力は米国人

 1980年代半ばの頃、邦船社はアメリカで「サヤの中に並んだ6粒のえんどう豆」といわれた。これは米船首脳の1人が評したもの。言外に邦船社は「似た者同士」であり、かつ「小さな会社」と続き

2015年6月5日

【四海茫々】(153)神仏混淆

 日本は古来、神道の国である。6世紀、欽明天皇の御世に仏教が伝来し親仏派と排仏派が争ったが、蘇我氏や聖徳太子率いる親仏派が勝利し、仏教は導入された。やがて「神は神化して仏になった」続き

2015年5月29日

【四海茫々】(152)力戦家かつ柔軟自在

 商船三井の米国ターミナル会社、TRAPAC(本社=ロサンゼルス、中野光彦社長)は1990年(平成2年)、オークランド港湾局と新造成コンテナ・ターミナルの借受条件について合意した。続き

2015年5月22日

【四海茫々】(151)1分1敗1勝

 商船三井にとって初の海外自営ターミナル、TRAPACロサンゼルスは1987年(昭和62年)秋、開業した。このころ世界は流動的な色合いを強めていた。いつも何かが胎動している感じがあ続き

2015年5月15日

【四海茫々】(150)小戦力に一理あり

 商船三井の北米自営ターミナル、TRAPACロサンゼルスは1987年(昭和62年)10月開業し、その第1船荷役の途中でガントリークレーン停止の事態に陥った。記者は現場で夕方まで順調続き

2015年5月1日

【四海茫々】(149)出会いと失敗

 商船三井の北米代理店自営は1986年(昭和61年)7月設立の『MOLアメリカ』(略称MOLAM)を司令塔として緒に就いた。まずは東部・ガルフ地域がストローン、西部地域はダイモンド続き

2015年4月24日

【四海茫々】(148)コンサイニー集荷

 1986年(昭和61年)4月、記者は米国シーランド社のニュージャージー本社を取材した。その折、役員の1人が“ジャパニーズ6”(日本船6社)のことを「サヤの中に並んだ6粒のえんどう続き

2015年4月17日

【四海茫々】(147)アヒルの水かき

 川崎汽船の麓正明氏はサンフランシスコ駐在員、Kawasaki(London)LTD出向、定航第二部部長などを経て1986年(昭和61年)、アメリカのITSに移籍して来た。浅見さん続き

2015年4月10日

【四海茫々】(146)独立不羈の旗印

 コンテナリゼーションは川崎汽船にとって千載一遇の好機だった。「新天地であれば邦船間協調の“たが”がゆるみ、自己裁量の範囲が拡がるはず。ならばサービス、オペレーションの差別化を徹底続き