1. コラム

2016年1月29日

【四海茫々】(185)船好者溺

 80年代後半から90年代初頭にかけての川崎汽船は、業容拡大を見せつつも業績の悪化を断ち切ることができず帳尻合わせに呻吟していた。有価証券の売却額推移と94年(平成6年)3月期まで続き

2016年1月22日

【四海茫々】(184)管鮑の交わり

 第一勧銀(略称DKB)が川崎汽船との関係見直しに動いたのは1990年代初期のことである。  川汽は89年(平成元年)3月期で営業収益を3003億円と3000億の大台に乗せ、90年続き

2016年1月15日

【四海茫々】(183)助け舟

 川崎汽船は1970年代半ばから90年代半ばまで苦難の連続だった。辛酸を嘗め尽くした20年間といえる。オイルショック、84年米国海運法を契機とする定航運賃の暴落、円高、バンカー高な続き

2016年1月8日

【四海茫々】(182)口に蜜あり

 鉦と太鼓は昔から人の生活と縁が深い。とある居酒屋では席に着いたとたん太鼓がド、ド、ドンと響いた。3人で行ったから3発鳴らしたそうで、何やら面映く、つい見栄を張って値段の高い酒と肴続き

2015年12月25日

【四海茫々】(181)五目飯談義

 記者は昔、日本郵船の北米航路コンテナ船隊を「五目飯」と形容し揶揄したことがある。1980年代のことだ。この話を本シリーズ前回で紹介したところ、案の定、反論が寄せられた。郵船OBの続き

2015年12月18日

【四海茫々】(180)負け戦を糧に

 こういうと叱られるに違いないが、日本郵船は定航部門の失敗が目立つ会社だった。1980年代半ば頃の話である。まずコンテナのインベントリーが混乱を極めた。  太平洋のトレードはアジア続き

2015年12月11日

【四海茫々】(179)両生類

 日本郵船の首脳、定航陣が悩んだ路線問題の1つとして「キャリアーかフォワーダーか」がある。  事の発端は菊地庄次郎氏に遡る。氏は社長、会長時代を通じて常に物流を統べる事業者の行方に続き

2015年12月4日

【四海茫々】(178)ニッチャー万歳

 昔、アメリカの大手スポーツシューズ・メーカーが極東各地で生産を手がけていて、神戸港がそのコンソリ輸出基地になっていた。  1970年代後半に取材した記憶がある。製造拠点は日本、韓続き

2015年11月27日

【四海茫々】(177)カーゴケア

 電機業界でいう「コモディティ化した商品」とは、市場で機能や製造方法などが標準化されてしまったものを指す。価格も同様。要するに誰が製造、販売しても似たり寄ったりという商品のことであ続き

2015年11月20日

【四海茫々】(176)怒髪、天を衝く

 日本郵船の定航関係者は1980年代から90年代にかけ東奔西走の日々を重ねた。  物流新時代のニーズに合わせ自社の定航経営体制を拡大・高度化することが最大の課題であったが、もう1つ続き

2015年11月13日

【四海茫々】(175)お祭りマンボ

 記者には憧れの人物が3人いた。スティーブ・マックイーンとソフィア・ローレンと美空ひばりである。いずれも1930年代の戦中生まれだが、『島の女』のソフィアだけは健在。地中海での客船続き

2015年11月6日

【四海茫々】(174)平成偃武

 1988年(昭和63年)10月に発足したTPDA(太平洋航路協議協定、根本二郎議長)は創立メンバーの日米5船社が他船社の加入勧誘に奔走し計13社の集まりとなった。そのマーケットシ続き

2015年10月30日

【四海茫々】(173)ペレストロイカ

 1988年(昭和63年)、日本はバブル景気の真っ只中にあって地価と株価の高騰が続き、オウムやイラ・イラ戦争なども世情を騒がせていた。巷ではひばりの不死鳥コンサートが話題となり、島続き

2015年10月23日

【四海茫々】(172)日米5社首脳会談へ

 米国新海運法が発効した1984年(昭和59年)からの北米航路は3年間で往航運賃がほぼ半値に、復航運賃が3分の1にまで下落した。業績の悪化は目を覆うばかりとなった。例えば86年度(続き

2015年10月16日

【四海茫々】(171)一堂に会してこその

 1984年(昭和59年)米国海運法は船社間競争を促し荷主利益の保護を図る目的で改正され発効に至った。海運規制を緩め船社の自由裁量をより広く是認する要素も加味されていたため、海運界続き

2015年10月9日

【四海茫々】(170)熱狂と奈落

 「日暮らし硯にむかひて(中略)あやしうこそものぐるほしけれ」と表現したのは徒然草の兼好法師だが、物狂いのような行動はおそらく諸人がこぞって体験するものであろう。諸産業にも熱狂の瞬続き

2015年10月2日

【四海茫々】(169)天与のサービスだが

 DSTの登場でアジア/アメリカ内陸の物流は大きく変わった。  かつて港で卸された内陸向け貨物は荷主アカウントだからその動静は船社から不可視。荷主はトラックや鉄道を利用して運ぶこと続き

2015年9月25日

【四海茫々】(168)DSTあってこそ

 本欄前回で紹介した日本郵船の楢岡孝武氏は1975年(昭和50年)入社。84年(昭和59年)4月、前年に新設されたばかりの同社北米総支配人室(ニューヨーク)に課員として赴任しDST続き

2015年9月18日

【四海茫々】(167)中西部まで14日間

 1980年代半ば以降、北米コンテナ航路は船社経済を押しつぶすほどの運賃崩落に見舞われた。「低運賃はあとで利いてくる冷や酒」などと解説する関係者が最初のころはいたが、巨額赤字の計上続き

2015年9月11日

【四海茫々】(166)豊饒の海

 「衆寡敵せず」という。多数と少数の力関係は明らか。大と小についても同様。だから中国の国々は往古から “大国衆民”を求め戦いに明け暮れた。今の中国しかり。人がやることであり、どだい続き