1. コラム

2014年11月7日

【四海茫々】番外その四 神とのつながり

 本連載124回でイザヤ・ベンダサン著『日本人とユダヤ人』から白人カルテル社会の日本を見る目に関する文章を引用した。また著者について「神戸生まれの人で、2000年以上に及ぶ迫害の歴続き

2014年10月31日

【四海茫々】(125)バーゲンセール

 ニューヨークのマンハッタン島は西のハドソン川、北のハーレム川、東のイーストリバー、南のニューヨーク湾にぐるり囲まれた、まさしく島だった。船で周遊することができる。だいたいの地理は続き

2014年10月24日

【四海茫々】(124)怖気立つ

 記者が米国現地取材に取り組んだ1980年代は、アメリカ経済の混迷が世界を大混乱に巻き込む10年となった。  最たる事件は85年(昭和60年)9月のプラザ合意である。また、ドル安円続き

2014年10月17日

【四海茫々】(123)大渦潮

 今回からアメリカを主題としてあれこれ綴ってみたい。いわば幕間に明かす埒もない見聞譚である。川崎汽船や松成博茂さんの話は前回で終わりというわけではない。いったん括り、改めて紹介した続き

2014年10月10日

【四海茫々】(122)大局観

 1960年代から1970年代にかけコンテナリゼーションが世界を席捲し始めた頃、アメリカで「インターモダル」という言葉が生まれた。後ろに「トランスポーテーション」を付ければ船舶、鉄続き

2014年10月3日

【四海茫々】(121)空白の1年半

 弊社が発行していた物流情報誌『CARGO』の1986年(昭和61年)5月号に以下の記述がある。大意を紹介する。  「アジア/北米のライナートレード(往航)で川崎汽船は昨年、APL続き

2014年9月26日

【四海茫々】(120)独自の市場感覚

 1950年代に勃興したコンテナリゼーションは60年代後半から70年代にかけて大西洋航路、太平洋航路、欧州航路へと浸透し、世界を席巻した。邦船も速やかにキャッチアップした。1968続き

2014年9月19日

【四海茫々】(119)苦味

 「コンテナ化に際して不足するものがあったとすれば、それは当社が独自の判断で行動できる自由裁量権でしょうね。いろんな規制やしがらみに束縛されずに、自由な戦略展開をやらせてもらえば様続き

2014年9月12日

【四海茫々】(118)マクリーンも拍手?

 コンテナ化前夜の1967年(昭和42年)、日本の海運界は大いに揺れていた。希望、興奮、確信や不安、懐疑、冷笑などが入り乱れ、関係者は右往左往の態であったという。  無理もない。コ続き

2014年9月5日

【四海茫々】(117)神速果敢

 「在来定期船会社はコンテナを採用する際、コンテナをただの箱として考えた。すなわち輸送中のダメージおよび盗難の防止もさることながら、いわゆるユニタイゼーションの面でコンテナをとらえ続き

2014年8月29日

【四海茫々】(116)新しい皮袋に

 “黒船研修”にまつわる話をもう1つ紹介したい。  記者は研修生を招いた米国船社イスブランセン社のオーナー、ヤコブ・イスブランセンという人物に惹かれたことを覚えている。ヤコブは旧約続き

2014年8月22日

【四海茫々】(115)運命的な出会い

 コンテナ海上輸送の始まりは、在来定期船時代の価値観、常識を根底から覆したという意味でまさに革命だった。  革命ともなれば混乱は避けられない。わが国海運界もその渦中にあって甲論乙駁続き

2014年8月8日

【四海茫々】(114)覚醒

 何であれ、物事の始まりには混乱が付き物。わが国のコンテナリゼーションがそうだった。  そもそも最初はコンテナリゼーションの正体、全貌が見えていなかった。無理もない。関係する情報、続き

2014年8月1日

【四海茫々】(113)コンテナ化勃興期

 20世紀を振り返り、人類にとって最大の発明発見は何であったかと考えることがある。  相対性理論、飛行機、ロケット、人工衛星、原子力利用技術、抗生物質、テレビ、トランジスタ、インタ続き

2014年7月25日

【四海茫々】(112)転機到来

 松成博茂さんは関東大震災(1923年)と世界恐慌(1929年)に挟まれた1927年(昭和2年)の1月13日に生まれた。  幼時から経済恐慌の影響が重くのしかかった。特に“持たざる続き

2014年7月18日

【四海茫々】(111)赤鬼伝説

 海軍兵学校時代の松成博茂さんに猛者伝説がある。  「74期生に赤鬼、青鬼と呼ばれる猛者が2人いた。その1人が松成さん。確か赤鬼だったと思う。郷里(呉市)では有名な話だ」。こう教え続き

2014年7月11日

【四海茫々】(110)命の恩人

 松成博茂さんはわが国コンテナリゼーションの旗手役を果たした人物だが、その詳細に触れる前に氏の少年期、青年期を紹介しておきたい。  氏は1927年(昭和2年)、塩飽諸島の本島で生を続き

2014年7月4日

【四海茫々】(109)海を統べる民

 本州岡山県と四国香川県に挟まれた西備讃瀬戸の海域に『塩飽水軍』で名高い塩飽諸島が浮かんでいる。大小28の島々から成る。今は一帯を本四連絡橋の『瀬戸大橋』(児島・坂出ルート)が南北続き

2014年6月27日

【四海茫々】(108)軽妙洒脱の人

 山下三郎氏は角張ったところがなく、さっぱりした気性で軽妙洒脱そのままの人物だった。姿形もいいので、えらくもてたらしい。三十数年前、神戸・花隈の料亭で海運界の長老と食事をしていると続き

2014年6月20日

【四海茫々】(107)相思相愛

 山下亀三郎氏は4男3女を儲けた。その長男、太郎氏は1896年(明治29年)生まれ。慶応大学、ハーバード大学を卒業して1921年(大正10年)山下汽船に入社、1942年(昭和17年続き