1. コラム

2013年7月26日

【四海茫々】(67)再配置そして拡大

 昔、『人に歴史あり』というテレビ番組があり、冒頭で「人の世の潮騒の中に生まれて、去り行く時の流れにも消しえぬ一筋の足跡がある」のナレーションが流れた。消しえぬ一筋の足跡こそが歴史続き

2013年7月19日

【四海茫々】(66)宿願のCY指定獲得

 1960年代後半、コンテナリゼーション勃興の波が日本に押し寄せ、船社経営だけでなく港湾のあり様も一変させた。日本の主要港はたちまち船社誘致合戦の激流に呑み込まれた。阪神両港しかり続き

2013年7月12日

【四海茫々】(65)誘致合戦の火蓋

 1970年代の大阪市港湾局は管理部/技術部/南港開発部の3部構成だった。それが80年代に入って管理部/企画振興部/建設部の3部体制に移行した。記者がもっぱら世話になったのは企画振続き

2013年7月5日

【四海茫々】(64)多士済々

 碁にどっぷりの日々を送る大阪のご仁が会うなり自身の棋風をこう説明した。  「もう屁(へえ)出っ放し。いきって攻めよる。そら、えぐいでぇ。守りはようせん。じゃまくさいし、あほくさい続き

2013年6月28日

【四海茫々】(63)文化は活力の礎

 今は死語に近いが、昔は「超ド級」という言葉がよく使われた。  ドは、英国戦艦“ドレッドノート号”(1906年就役)の頭文字に由来する。「ど」あるいは「弩」とも書いた。ド号は圧倒的続き

2013年6月14日

【四海茫々】(62)港頭の新世界

 キタ、船場、ミナミ、新世界、阿倍野。いずれも大阪を代表する繁華街だが、これらは市街地のほぼ中央を北から南へ縦断し、賑わいの枢軸を形成している。この中で異色の存在は新世界。ひところ続き

2013年6月7日

【四海茫々】(61)水族館で賑わい創出

 大阪港の紋章づくりに注がれた熱意は尋常一様のものではなかった。まず紋章の意匠に託して大阪港の権威、伝統、未来を格調高く描き出そうとした。同時に市職員の見識を広め士気も高揚させたい続き

2013年5月31日

【四海茫々】(60)紋章は装飾にあらず

 '83世界帆船まつりにより大阪港は世界から最高度のフレンドシップとリスペクトを獲得した。実はそれ以前に大阪港の国際戦略が始動していた。1980年の紋章製作がそれ。紋章はmajes続き

2013年5月24日

【四海茫々】(59)大阪湾に奇跡の光景

 「言うは易く行うは難し」という。世界帆船パレードがまさにそれ。海外では米国ニューヨークの64年および76年オプスル(前回参照)やオランダのアムステルダム帆船祭、フランスのアマルダ続き

2013年5月17日

【四海茫々】(58)破天荒

 大阪は、「港の賑わい創出」を生命線としてきた都市である。それは古代、仁徳天皇の時代に刷り込まれ、不易の行動規範として現代に受け継がれてきた観がある。  賑わいの大元にあるのは対外続き

2013年5月10日

【四海茫々】(57)中国要人の南港詣で

 朱鎔基(しゅようき、1928年生まれ)、姚依林(よういりん、1917年生まれ)、李嵐清(りらんせい、1932年生まれ)。いずれも中国の大物政治家である。この3人に大阪南港ポートタ続き

2013年4月26日

【四海茫々】(56)神話は史実でもあった

 「東に美しい土地がある。四周に青い山があり、その地に天から饒速日命(ニギハヤヒノミコト)が下っているという。そこは六合の中なれば、大業を広げて、天下を治めるにふさわしい土地であろ続き

2013年4月19日

【四海茫々】(55)スーパーマン

 大阪に流れ来る川は淀川だけだが、江戸時代半ばごろまでは大和川が上町台地から東の河内平野に流入し、沼沢地を経由しつつ西に流れて、上町台地の北で淀川に合流していた。  今は違う。奈良続き

2013年4月11日

【四海茫々】(54)水都大阪の祖形

 大阪の大地は半ば干拓や埋め立てによって造成されたと書いたが、実際は半ば以上であろう。それは難波宮跡を囲むようにして発見、発掘された遺跡群から容易に想像できる。  難波宮は上町台地続き

2013年4月5日

【四海茫々】(53)土木王国

 前回、登場した「いちびり」は大阪の方言。調子に乗ってふざけることを意味する動詞の「いちびる」を名詞化した言葉だという。  「いちびってんと、ちゃんとせえ」などと用いるが、「ふざけ続き

2013年3月29日

【四海茫々】(52)“いちびり”のご託宣

 大阪の天保山は「日本一低い山」である。大阪市が標榜し、ついにはギネスブック認定の「世界最低峰」になったとも教えられた。最高ではなく最低を自慢する話だから罪がない。「いかにも大阪」続き

2013年3月15日

【四海茫々】(51)スマートポート出現

 大震災の痛撃から立ち上がり、2年4カ月後の1997年(平成9年)5月19日には復興を宣言した神戸港だが、港勢の戻りは鈍かった。  コンテナリゼーション・インターナショナルの統計に続き

2013年3月8日

【四海茫々】(50)復興宣言

 USL倒産に慌てはしたが、神戸港埠頭公社はすぐさま手を打ち川崎汽船を六甲アイランドコンテナ埠頭RC3の借受者に決定した。1987年(昭和62年)5月のことである。  その1年前の続き

2013年3月1日

【四海茫々】(49)神話崩壊

 81年(昭和56年)12月25日、財団法人神戸市フェリー埠頭公社を改組する形で財団法人『神戸港埠頭公社』が発足した。  阪神外貿埠頭公団の業務を承継するためである。承継すれば、コ続き

2013年2月22日

【四海茫々】(48)登竜門

 「第2の黒船」といわれた米国マトソン社のコンテナ船“ハワイアン・プランター号”が神戸に来航したのは1967年(昭和42年)。同じ年の10月、阪神外貿埠頭公団が発足し阪神両港で船社続き