1. コラム

2014年1月17日

【四海茫々】(86)三井ファイト

 1984年(昭和59年)春、記者は前に所属していた会社を辞めた。辞めざるを得なかったというのが本当で、次の就職の当てはまったくなかった。東京から関西に異動を命ぜられ、そのまま失職続き

2013年12月20日

【四海茫々】番外その3

 2013年(平成25年)もはや暮である。この連載は昨年2月1日に始まった。ほぼ2年にわたり本編85回と番外編2回の計87回を掲載してきた。今回の番外その3を含めれば88回となる。続き

2013年12月13日

【四海茫々】(85)船価主義に走らず

 尾道造船には“名物社員”が何人か存在した。記者が強く記憶しているのは大垣善美氏。台北の日式居酒屋でこの人の涙を見た。  そこは店内に日本民謡が流れていた。まず耳に入ってきたのは「続き

2013年12月6日

【四海茫々】(84)無借金体質に

 中国の故事から出た言葉に「創業は易く守成は難し」がある。事業は興すより維持することの方が難しいと教えている。1980年代後半のわが国海事関係者はつくづくとそのことを実感したはずで続き

2013年11月29日

【四海茫々】(83)カリスマ経営者

 尾道造船の浜根義和氏は、周辺の誰もから「できる人」と評価されてきた。が、若い頃は多分に「ちょっと変わった独特の能力の持ち主」つまり「異能の人」と見られていた。  氏は、落ち着き払続き

2013年11月22日

【四海茫々】(82)造船の命脈はいかに

 尾道造船の浜根義和氏は乾豊彦・道子夫妻(本連載69参照)が儲けた4男2女の第5子、3男として1944年(昭和19年)4月28日、神戸で生まれた。  氏は67年、大正海上(現商号は続き

2013年11月15日

【四海茫々】(81)天の配剤

 尾道造船の浜根康夫氏は信義や情に篤い経営者だった。また顧客や従業員、社会の利益を尊重し、これを行動規範にして終生崩すことがなかった。その意味で「礼の人」ともいえる。これに対して後続き

2013年11月8日

【四海茫々】(80)惚れ込む

 初代浜根岸太郎氏が設立した向島船渠は“戦時下の大義” に抗えず、日立造船に合併された。経営を引き継いだ2代目岸太郎氏にすれば忸怩たる思いであったろうが、世間は氏に次の起業を促した続き

2013年10月25日

【四海茫々】(79)志篤く

 本四架橋の1つである尾道・今治ルートは正式名を西瀬戸自動車道という。通称は『瀬戸内しまなみ海道』。尾道/向島/因島/生口島/大三島/伯方島/大島/今治を島伝いにつないでいる。まさ続き

2013年10月18日

【四海茫々】(78)函館から尾道、神戸へ

 「私は宿命的に放浪者である。私は古里を持たない」。林芙美子の自伝小説『放浪記』はこの出だしで読者を惹きつけた。荒涼とした半生を予想させる文章だが、湿りがなく、凛としていて強い意思続き

2013年10月11日

【四海茫々】(77)1丁目1番地

 乾汽船の兄弟会社、イヌイ倉庫についても触れておきたい。  忘れられない話がある。あるとき記者は乾豊彦氏に東京都内の鮨屋に連れて行かれた。銀座4丁目から左手に歌舞伎座、右手に築地市続き

2013年10月4日

【四海茫々】(76)いやまし栄える

 記者は乾汽船の経営を豊彦氏から英文氏、新悟氏と3代にわたって取材してきた。およそ35年に及ぶ。その実見記を本欄で執筆するため資料を整理していた今年6月、快哉を叫ぶ出来事に遭遇した続き

2013年9月27日

【四海茫々】(75)よく守り攻めへ

 乾汽船の乾英文氏は「一番しんどかったのは、あの米国訴訟事件」(本連載74参照)と振り返った。しかし、それ以前にも長期不況突入、プラザ合意(円高進行)、緊雇対(緊急雇用対策)の実施続き

2013年9月20日

【四海茫々】(74)防波堤に

 乾汽船の乾英文氏はふだん笑顔で終始することが多く、難しい表情をほとんど見せない人である。ところが、米国訴訟事件に遭遇したときだけは違った。沈鬱な表情から怒り、不信、不安など心中の続き

2013年9月13日

【四海茫々】(73)訴訟社会の渦中に

 乾豊彦氏は1907年(明治40年)1月28日生まれ。35年(昭和10年)2月、三井物産を退職して乾汽船に入社し、相談役在任中の93年(平成5年)9月20日に逝去した。享年86。お続き

2013年9月6日

【四海茫々】(72)動乱の時代を生き抜く

 商船三井の相浦紀一郎会長(1991年当時)が着目した乾豊彦氏と田中精一氏の関係を紹介しておきたい。  田中精一氏は1911年(明治44年)生まれ。中部電力の社長、会長、相談役を務続き

2013年8月30日

【四海茫々】(71)堅実経営を貫徹

 神戸市の旧居留地には邦船大手3社に由来する歴史遺産のビルが今も現存する。  『郵船ビル』(中央区海岸通1-1-1、1918年建築、3階建て)、『商船三井ビル』(中央区海岸通5番地続き

2013年8月23日

【四海茫々】(70)慧眼と決断の人

 乾豊彦さんは中京財界の大立者、高橋彦次郎氏の第9子、7男として1907年(明治40年)1月28日、名古屋で生まれた。  就職難だった1930年(昭和5年)、豊彦氏は三井物産に入社続き

2013年8月9日

【四海茫々】(69)真理は細部に宿る

 記者の関西駐在は1981年(昭和56年)から3年間と短いものだったが、東京と違って海事産業の現場に接する機会が多く、迷いつつも四方八方駆け回わる日々を重ねた。海運、海貨、港運、造続き

2013年8月2日

【四海茫々】(68)トレードコンシャス

 大阪は古代からトレードコンシャスな港づくりを意識してきた。そもそも奈良盆地から難波への遷都が大陸との交流を意図した行動であり、当然ながら「初めに港ありき」の都市建設が展開された。続き