1985年(昭和60年)、米国西岸タコマ港はコンテナリゼーションの春を迎えた。シーランドとマースクの寄港が始まり、コンテナ港として巣立ったもの。その後もタコマの港勢拡大が続き、同…続き
太平洋の貿易は1880年代に一変した。1881年(明治14年)、桐生から絹織物の最高級製品“羽二重”の対米輸出が始まった。ほぼ同時期に米国、カナダでは大陸横断鉄道の開通が相次いだ…続き
今回から1980年代半ば以降の北米定期航路に焦点を当て、記憶に残る出来事を振り返っていきたい。 80年代半ばは定期船同盟の根幹が揺らぎ、関係船社が抜き差しならぬ過当競争に突入し…続き
「窓からすぐそこに新芽に春の気配溢れる賎機山が見え、グランドからは龍爪山、その背後に富士山が遠く春霞の彼方に聳え、仰秀寮前の広場を囲む桜の老木には花が満開であった。桜が咲く頃にな…続き
1989年(平成元年)秋の宮岡公夫/天谷直弘対談は、“世界解体新書”とでも名付けたい読み物になった。世相が鮮やかな手並みで腑分けされ、その内奥を実見するような興奮を覚えたものであ…続き
1989年(昭和64年)は時代の変り目だった。 同年1月7日、昭和天皇が崩御した。同日午後、内閣官房長官の小渕恵三(後の内閣総理大臣)が新元号を発表した。『平成』だった。史記の…続き
日本郵船の宮岡公夫氏は“男梅雨”にたとえることができる。その怒り様が、である。 梅雨の時節に「ざっと降ってさっと止む」を繰り返す雨が男梅雨。「しとしとと長く降り続く」雨は“女梅…続き
日本郵船の宮岡公夫氏は1984年(昭和59年)、社長に就任した。同時期に商船三井でも新社長が誕生した。相浦紀一郎氏である。川崎汽船は熊谷清社長が在任中で翌85年(昭和60年)、伊…続き
漱石の『坊ちゃん』に登場する教頭“赤シャツ”やその腰巾着“野だいこ”を見れば、誰だって鉄拳を振るいたくなる。校長の“狸”もいただけない。事なかれ主義、優柔不断が目に余る。日本郵船…続き
オットー・フォン・ビスマルク(1815-1898年)は鉄血宰相といわれた。これをもじり、陰で“鉄拳”宰相の異名を奉られた海運人がいた。日本郵船の宮岡公夫氏である。 宮岡さんは天…続き
「散る桜 残る桜も 散る桜」 「帰りなんいざ 田園まさに蕪(あ)れなんとす」 上は良寛の作といわれている。“辞世”との解説がもっぱらだが、怪しい。逝く人が残る桜の人々を指して…続き
アメリカ取材から得た雑感のいくつかを書き述べてきたが、とりわけ心に残ったふたつの事柄を取り上げ、一応の締めとしたい。 まず挙げるべきは「大きい」ということである。アメリカは何も…続き
アメリカン・プレジデント・ラインズ(APL)は1997年(平成9年)、シンガポールのネプチューン・オリエント・ラインズ(NOL)に買収された。シップ・アンド・オーシャン財団の調査…続き
1999年(平成11年)のマースクによるシーランド買収でアメリカ資本の外航定期船会社は皆無となった。論議を呼ぶに違いないと思っていたが、特段のことはなかった。彼の国にあって海運業…続き
変転の激しさに呆然とすることがある。アメリカ資本の外航定期船会社がそうだった。「名門」「有力」「巨大」などの枕言葉を冠せられた定航会社がことごとく姿を消して行った。記者はそれを1…続き
アメリカの株式市場を代表する株価指数としてダウ平均株価がある。ダウといえば「ダウ工業株30種平均」を指すことが多い。他に「輸送株20種平均」「公共株15種平均」と、これら3つを合…続き
アメリカはイングランドから渡って来た清教徒たちによって建国された。とりわけ、マサチューセッツ湾ショーマット半島に上陸し後にボストン市を建設した清教徒たちの貢献が大きいとされている…続き
摩天楼が雲を突き破って空高く聳え立つ…。これは記者の頭に刷り込まれていたマンハッタンの原風景である。映画『キングコング』のポスターや少年漫画雑誌などの影響であろう。摩天楼は畏怖の…続き
神戸方面から大阪に向かうと、淀川にぶつかる。そこから市街地を眺めると、集積したビル群の広がりが水上から浮き立つように見える。この景色を「マンハッタンに似ている」とのたもうたご仁が…続き
「世界に4つ存在しないものがある。アメリカ人の哲学者、イギリス人の作曲家、ドイツ人のコメディアン、日本人のプレイボーイ」 これは政治学者、永井陽之助氏がアメリカで聞いたジョーク…続き