1. コラム

2016年6月24日

【四海茫々】(205)旦那衆が変身

 1990年代のコンテナ船事業はコスト最小化こそがサバイブの絶対要件とされていた。各船社はコスト項目すべてを厳しく監視し、過大過分の費用があればたとえ寸毫でも即座に是正する取り組み続き

2016年6月17日

【四海茫々】(204)兵は拙速を尊ぶ

 「和は実に物を生じ、同はすなわち継がず」という。中国古典の『国語』にある言葉で調和は万物を生み出すが、同調では生産が続かないと言っている。『論語』にも「和して同ぜず」があり、古言続き

2016年6月10日

【四海茫々】(203)まやかしを許さず

 北米コンテナ航路は1989年(平成元年)に発足したTSA(太平洋航路安定化協定)によって血みどろのダンピング競争をひとまず回避することができた。記者はこれを家康の元和偃武(げんな続き

2016年6月3日

【四海茫々】(202)陥穽

 1990年代の定航事情を改めて説明しておきたい。  北米コンテナ航路は85年(昭和60年)から運賃崩落が始まり、88年(昭和63年)でいったん下げ止まった。88年はTPDA(太平続き

2016年5月27日

【四海茫々】(201)葛藤と軋轢

 中国古典にある「特立して独行す」(本連載前回参照)は、世の風潮やしがらみなどに影響されず自己の主張、理念を立てて真っ直ぐに行動することをいう。川崎汽船の黒谷研一氏はそういう企業人続き

2016年5月20日

【四海茫々】(200)特立して独行す

 川崎汽船の若林善三郎氏は、本連載196回で紹介したとおり1962年(昭和37年)入社。90年(平成2年)シドニー駐在を解かれ本社の定航第二部長に就いてから副社長(2000年6月~続き

2016年5月13日

【四海茫々】(199)力行如何

 世の中はままならぬことが多い。平安時代に君臨した白河法皇(1053~1129年)は“天下三不如意”を口にした。意の如くならざるものとして「賀茂川の水、双六(すごろく)の賽、山法師続き

2016年4月28日

【四海茫々】(198)無言の肯定

 川崎汽船は1992年(平成4年)6月、松成博茂社長の会長就任と南雲四郎専務取締役の社長昇格を決めた。また同年12月、松成会長の主導でコスト削減運動『ターゲット10』を開始した。詳続き

2016年4月22日

【四海茫々】(197)盟友関係にヒビ

 川崎汽船は1990年(平成2年)、代理店の完全自営会社『Kライン・アメリカ』を設立した。松成博茂社長時代の記念碑的な出来事と言っていい。  同社が米国の代理店、Kerrと合弁で『続き

2016年4月15日

【四海茫々】(196)総領の甚六?

 川崎汽船の中にあって定航部門はいわば「長子」、事業独り立ちの時期が新しい自動車輸送部門は「末子」と看做すことができる。1990年代初頭を振り返っての話である。今はもうその比喩があ続き

2016年4月8日

【四海茫々】(195)手堅さに妙あり

 自動車(4輪完成車)はもともと定期船カーゴだったが、日本では北米航路を皮切りとして1960年代半ばから自動車専用船(カー・バルカー)による輸送つまり“定期船離れ”が始まり、70年続き

2016年4月1日

【四海茫々】(194)適者生存

 川崎汽船は川崎重工に発注していた1970年(昭和45年)1月起工のカー・バルカーを2082台積み自動車専用船に設計変更し、建造に踏み切った。これが日本初のPCC“第十とよた丸”(続き

2016年3月25日

【四海茫々】(193)疾風迅雷

 川崎重工の亀谷日出彦氏によると、川崎汽船が川重にPCCの建造商談を持ち込んだのは1969年(昭和44年)の年明け早々。もちろんPCCなるネーミングはまだない。カー・バルカーではな続き

2016年3月18日

【四海茫々】(192)災い転じ大福に

 1957年(昭和32年)のサンプル車2台から始まったトヨタの対米自動車輸出は、“第一とよた丸”の登場で弾みがついた。同船の就航は68年(昭和43年)。65年(昭和40年)に就航し続き

2016年3月11日

【四海茫々】(191)サバイブ

 トヨタの乗用車対米輸出と自動車専用船の草創期をトレースしておきたい。  トヨタが対米輸出に乗り出したのは1957年(昭和32年)。この年、トヨタは現地法人の米国トヨタ自動車販売を続き

2016年3月4日

【四海茫々】(190)ゴッドファーザー

 繰り返すが、川崎汽船は『KR(Kライン・リエンジニアリング)計画』の推進と低金利時代の到来、自動車船部門の活況などに支えられ、未曾有の危地から脱出した。1980年代から引きずって続き

2016年2月26日

【四海茫々】(189)斃れて後已む

 川崎汽船の毛利盟氏は、商船三井が自動車専用船“追浜丸”を建造するというニュースに接し、それこそ仰天した。自動車輸送を専用船化する構想は温めていたが、やり方についてはまだ手探り状態続き

2016年2月19日

【四海茫々】(188)トイレへどうぞ

 川崎汽船は『KR計画』を成功させ活力を取り戻した。その先導者、新谷功氏の役割は極めて大きいが、定航業を支える人材の数々や自動車専用船部門の活況、低金利時代の到来など自身の底力と時続き

2016年2月12日

【四海茫々】(187)三は万物を生じる

 川崎汽船の『KR計画』(本連載前回参照)は「真に身を削るコスト節減を」という新谷功氏の提言で実践に移され、見事に実効を上げた。  新谷さんは「93年(平成5年)10月のKR活動開続き

2016年2月5日

【四海茫々】(186)鉄仮面

 川崎汽船の松成博茂氏は1992年(平成4年)6月、社長職を南雲四郎氏に託し会長に退いた。同年12月に始まったのが『ターゲット10運動』である。  当時の川汽は銀行筋から財務体質と続き