1. コラム

四海茫々

【四海茫々】⑧不沈艦にあらず

 日本貨物航空(NCA)の免許取得から1年後の1984年(昭和59年)8月31日、菊地庄次郎さんは死去した。そして翌年5月8日、NCAは開業した。戦後日本にあって日本航空に次ぐ国際続き

【四海茫々】⑦力わざ

 日本郵船と航空事業の因縁は深い。戦前からである。郵船は1938年(昭和13年)に設立された国策航空会社、『大日本航空』の主要株主であり、同社の初代会長には当時の郵船社長、大谷登氏続き

【四海茫々】⑥クリーミーカーゴ

 航空貨物を専門とする輸送会社といえば日本貨物航空。設立されたのは33年半前の1978年(昭和53年)9月。わが国初の航空貨物専業会社であり、現在も専業会社として国内唯一の存在。日続き

【四海茫々】⑤荒ぶる魂

 「仕組船」。死語と言わないまでも今はほとんど使われない言葉となった。1970年代初頭、長期用船を目的として日本船社が外国船社に船舶を建造・保有させる方式が編み出された。これが仕組続き

【四海茫々】④天の声

 有吉義弥さんは戦後・日本郵船の再建に尽力し、その後の成長の礎を築いた。名門企業としての風格を高めたという点でも功績大だった。これに対して菊地庄次郎さんは海運企業のあり様を深く考察続き

【四海茫々】『四海茫々』(番外編)

 『四海茫々』の連載を開始してすぐに間違いの指摘や助言などをいくつか頂戴した。まずシリーズ①(大会長の早弁)で米国のグラマー女優第1号の名前を記者は「ラナ・ターナーあたりであろうか続き

【四海茫々】③モザイク模様

 1979年(昭和54年)1月、記者は約1週間の日程で台湾に出張した。エバーグリーンを取材するためである。当時のエバーグリーンはフルコンテナ・サービスを開始してからまだ4年に満たな続き

【四海茫々】②郵船の往復ビンタ

 日本郵船の有吉義弥さんは新米記者にとって雲の上の人だった。記者会見やパーティー会場で仰ぎ見る存在であり、ふだんは傍に近づくこともできない。それが“坊や”をやらされたおかげで昼食を続き

【四海茫々】『四海茫々』

(はじめに)  海事記者の職に就いてから40年がとうに過ぎた。この機会に来し方を振り返り、心に残る人物や出来事のあれこれを書き留めておこうと思い立った。評論の類いを物にする気はない続き