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該当記事:213件(141~160件表示)

2020年9月28日

《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏③、ドイツで倉庫事業、長契船と類似点

 物流部門も比較的長く、コンテナ船の欧州課の終わりの方から関わった。当時は日本のメーカーが現地生産のために欧州に進出し、それについていく形で邦船社の物流事業も海外に出ていった。何も続き

2020年9月25日

《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏②、高船価船発注の苦い経験

 タンカー部門にいた1989年にアラスカ沖で“エクソン・バルディス”号の油濁事故が起こり、賠償額は当初4000億円と言われた。これを契機にタンカーのダブルハル化の議論が加速した。当続き

2020年9月24日

《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏①、コンテナ・鉄鋼原料船で基礎を学ぶ

 阿部隆氏は日本郵船グループのハンディバルカー・在来運航船社NYKバルク・プロジェクト(NBP)の社長を2018年まで務めた。04年にNBPの前身のNYKグローバルバルク(NGB)続き

2020年9月18日

《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長⑩、日本海事産業が世界で生きるには

 中国運輸局長を経て、2003年に海事局の技術審議官として本省に戻り、06年に海事局長となった。海事局長としての最大の課題が、海運業界から強い要望があったトン数標準税制の問題だった続き

2020年9月17日

《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長⑨、私的機関で議論、造船集約へ報告書

 造船業の集約問題に、役所としてどう取り組むか。通常の審議会は、業界の代表が顔をそろえるので骨抜きになるし、そもそも意見がまとまらない。ということで、造船課長の私的諮問機関が意見を続き

2020年9月16日

《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長⑧、造船大手の課題、解決策は集約

 造船業は海運業と同様に市況産業である。製造業でありながら、コストプラスアルファで価格が決まらない。価格は、市場が決めるのである。需給がひっ迫すれば大きな利益を生むし、供給過剰とな続き

2020年9月15日

《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長⑦、幻の造船補助金ルール

 OECDで造船の補助金とダンピングの規律策定をめぐる議論がいざ始まると、補助金については、痛いところの突き合いであった。ECに対しては、直接補助金は当然のこととして、国営企業の不続き

2020年9月14日

《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長⑥、造船国家助成めぐり紛糾

 第二次設備処理が完了した昭和の終わりごろ、私が造船課補佐官の頃に、日米造船摩擦が発生していた。これもプラザ合意と同様にレーガノミクスの余波で、米国政府が造船業への補助金を打ち切っ続き

2020年9月11日

《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長⑤、第二次不況策は設備処理+集約

 私が造船課専門官に着任した1984年(昭和59年)、造船各社は、三光ブームによって一定の仕事量を確保していたものの、政策的には、長期ビジョンで指摘されている集中度低下や需給不均衡続き

2020年9月10日

《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長④、束の間の好況と集中度低下の問題

 日本の新造船建造量は1978~79年(昭和53~54年)がボトムで、ピーク時の2000万総トンから550万トンまで落ち込んだが、その後にマーケットが急回復した。背景には79年(S続き

2020年9月9日

《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長③、不況対策が大手縮小と専業成長の契機に

 第一次造船不況の対策を具体的に振り返りたい。まず第一次設備処理として、1979年度(昭和54年度)の1年間で、建造量のピークだった基準年の73年(S48年)の980万CGT(標準続き

2020年9月8日

《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長②、第一次造船不況、対策一気に

 私が運輸省に入省する2年前の1973年(昭和48年)、第一次石油ショックが発生した。それ以前に日本の造船は空前のブームで、当時はVLCCを3隻建造したら1隻はただでもよいというく続き

2020年9月7日

《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長①、造船不況、官民共闘の記録

 日本海事協会(NK)の冨士原康一理事会議長は、昭和50年代の第一次造船不況と第二次造船不況に際し、運輸省の若手官僚の頃から日本造船業の設備処理や一連の不況対策の立案と業界調整で中続き

2020年7月31日

《連載》次代への戦訓/元・飯野海運/元・フェアフィールド・ジャパン 早瀬幸利氏⑤、ケミカル船、事業環境は変化

 2005年に飯野の特別顧問を辞して、プールオペレーションのパートナーでもあるフェアフィールド・ジャパンに転職した。05年4月に同社副社長、翌06年8月に社長に就任した。その素地は続き

2020年7月30日

《連載》次代への戦訓/元・飯野海運/元・フェアフィールド・ジャパン 早瀬幸利氏④、自主運航へと踏み出す

 先ほど述べたサビック社との輸送契約は実体としてエム・ティー・マリタイム・マネージメントとの共同事業だったが、飯野はその間、海外への人材を派遣を通して積極的にケミカル船のオペレーシ続き

2020年7月29日

《連載》次代への戦訓/元・飯野海運/元・フェアフィールド・ジャパン 早瀬幸利氏③、サビック向け契機に中東展開

 サウジアラビアはかつて石油随伴ガスをただ燃やしていたが、この貴重な資源を石化工業原料として有効活用し、商業化することが長年の夢であった。そのため、サウジアラビア基礎産業公社(サビ続き

2020年7月28日

《連載》次代への戦訓/元・飯野海運/元・フェアフィールド・ジャパン 早瀬幸利氏②、共同事業通じて知見得る

 73年油槽船部から分離独立して“特殊”油槽船部(ケミカル、ガス部門)が誕生していたが、当初は内外航のガス船事業が専らだった。内航は通常のプロパン、ブタンの続き

2020年7月27日

《連載》次代への戦訓/元・飯野海運/元・フェアフィールド・ジャパン 早瀬幸利氏①、ケミカル船業界で45年

 連載企画「次代への戦訓」の第9回は、ケミカル船業界の知見、経験の深い早瀬幸利氏。同氏は大学卒業後、飯野海運に入社し、2004年に代表取締役専務を退任するまで、飯野海運のケミカル船続き

2020年5月26日

《連載》次代への戦訓/東神インターナショナル 丸山博史会長⑥、「恵まれた縁と運」で34年

 私自身、これまでの34年間、シップブローカー業を続けてこられたので “性に合っていた”ということなのだろう。最も大きいのは、周囲の皆さんに助けていただいたこと、そして運が良かった続き

2020年5月25日

《連載》次代への戦訓/東神インターナショナル 丸山博史会長⑤、独り立ちできる実力を磨く

 私が業界に入った時は顧客とお付き合いをしていれば仕事は来ると言われていたが、そのような時代は既に終わっている。しかし、単に引き合いだけの情報ではなく、一般情報を含めて早く、正確に続き