検索結果

  • 複数のキーワードを半角スペースで区切るとAND検索になります。
  • 検索キーワードは単語のみ。・,-,などの記号は検索対象になりませんので、キーワードから外してください。

該当記事:213件(161~180件表示)

2020年5月22日

《連載》次代への戦訓/東神インターナショナル 丸山博史会長④、生き残り策を模索する

 日本のシップブローカーはもともと1960年頃に英国や米国のブローカーにノウハウを教えてもらった。当時、海外は石油需要が伸びてタンカーが大型化して船が増えていく時代で、日本もいずれ続き

2020年5月21日

《連載》次代への戦訓/東神インターナショナル 丸山博史会長③、ブローカーは緩衝材

 シップブローカーは専門的な知識が必要で、船主と用船者の間に立って緩衝材となり直接の衝突を避ける大切な役割を果たしている。私がブローカーとして心がけていることが2つある。1つは、人続き

2020年5月20日

《連載》次代への戦訓/東神インターナショナル 丸山博史会長②、石油会社・船社再編で変わる事業環境

 東神インターナショナルは前身の東神タンカーが1964年にタンカーのブローキング部門を立ち上げたことに端を発する。東神タンカーは内航船主部門も持っていて、バージを5隻所有していたが続き

2020年5月19日

《連載》次代への戦訓/東神インターナショナル 丸山博史会長①、造船業からブローカー業に転身

 連載企画「次代への戦訓」の第8回は、東神インターナショナルの丸山博史会長。造船業界からシップブローカーに転身し、東神インターナショナルの経営を担うとともに、2009年からの3年間続き

2020年4月9日

《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏⑦、呉に船田海運あり

 地元に船田海運と喜望峰の会があったからこそ現在の当社がある。若い頃に休暇などで陸に上がった時には、船田海運に行っていろいろな話を聞いて学んでいた。それから間もなく船田海運が外航船続き

2020年4月8日

《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏⑥、船主業の魅力は大きいこと

 船主ビジネスの魅力は、単純に全ての物が大きいことにある。ケープサイズは載貨重量が20万トンもある。普通の船でも全長200mはあるが、そういう大きい船が保有できるし、投資額も数十億続き

2020年4月7日

《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏⑤、PCLショックで危機に

 円安になって当社の経営も安定したと思ったのだが、今度は用船者の信用不安が相次いで浮上した。2015年には第一中央汽船が民事再生法の適用を申請した。当社は2隻を貸船していたが、1隻続き

2020年4月6日

《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏④、難産のケープサイズ保有

 新造船6隻の自己資金不足に直面した時、具体的にどうやって危機を乗り切ったかというと、まずは邦船大手にはチップ船の用船解約をお願いした。実は当初、銀行が同船の用船契約を担保に融資し続き

2020年4月3日

《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏③、円高で危機、資金繰りに奔走

 思い出深いのは、2008年に1700TEU型コンテナ船、09年に3893台積み自動車船と8万8000重量トン型石炭船を建造したことだ。いずれも川崎汽船向けだった。中国の高度成長で続き

2020年4月2日

《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏②、船田、三徳の支援で外航船拡大

 1993年には事務所を下蒲刈島から対岸の仁方に移した。その頃には父が事務所に出社することもなくなっていて、実質的には私と弟で経営していた。当時の外航船はまだ近海船1隻のみだった。続き

2020年4月1日

《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏①、船上で育つ、大きい船に興味

 連載企画『次代への戦訓』の第7回は、広島県呉市の船主である菅原汽船の菅原博文代表取締役。4月1日付で長年務めた社長を退いたのを機に、幼少期から社長退任までの来し方を振り返ってもら続き

2020年3月6日

《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑫、日本海運未来への展望

 私が船舶金融の世界に入ってから40年、海運そして造船を取り巻く環境は一層厳しくなっている。その原因はいろいろあろうが、私はこの分野におけるコモディティ化の進行が極めて大きい要因の続き

2020年3月5日

《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑪、ソリューション事業の展開

 アンカー社は投資ファンド事業以外にも船舶金融を通じたソリューション事業も展開してきた。地方船主への支援はそのひとつ。船主の資金負担の軽減策として船舶をアンカー(ファンド)で保有、続き

2020年3月4日

《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑩、業界への浸透、変化対応でファンド事業が進化

 こうして船舶投資ファンド事業がスタートしていくわけである。中国ブームで海上物流が伸びていく中、船台の取り合いになるほど船舶の需要は旺盛であった。しかしながらいくら需要が見込めると続き

2020年3月3日

《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑨、アンカー社誕生

 当時、国内には本格的な船舶投資ファンドは存在しなかった。しっかりした船主が大勢いるし、またリース会社もあったので、それで船舶のオーナーはまだ足りていたのだろう。しかし、だんだんと続き

2020年3月2日

《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑧、船舶投資ファンド構想が浮上

 2006年3月に52歳でみずほコーポレート銀行の監査役を退任することになる。銀行員の場合、銀行の都合で子会社や取引先などの次の働き先が決まる。私は自分の意志で決めたいという気持ち続き

2020年2月28日

《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑦、オフバラでの船舶調達を支援

 営業第七部で2年間次長を務めたので、次長ポストはそろそろ卒業ということになった。支店長や部長になる年齢ではないので、2000年6月に審査部に副部長として配属された。それは順当な異続き

2020年2月27日

《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑥、商船三井/ナビックスが合併

 昭和海運の問題が片付いた後、今度はナビックスラインの話が出てきた。興銀出身で、当時のナビックスの社長だった堀さんが興銀の経営陣を訪ねてこられて、「大阪商船三井船舶の生田社長から合続き

2020年2月26日

《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑤、再び海運、昭和海運問題手掛ける

 海運を離れてドイツに行けと言われた時には本当にうれしかった。海運の6年半は本当に消耗していた。  1988年にドイツの現地法人に赴任して、海運とは全く関係なく、欧州の国や企業、日続き

2020年2月25日

《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏④、ナビックスライン誕生

 ジャパンラインへの債権放棄が終わるか終わらないかという時に、山下新日本汽船のメインバンクだった三和銀行からジャパンラインと合併させたいという打診があった。山新も単独で存続するには続き