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2021年2月19日
日本で首位、世界でも第4位の船舶融資残高を誇る三井住友信託銀行。日本では海運会社、国内船主(船舶オーナー)向けなどで長年の実績があり、自社の海外支店とクレディ・アグリコルとの提携…続き
2021年1月22日
最後に、私なりに代理店業にとって肝要と考えることについて述べたい。 まず大切なのは、プリンシパルのCEOや社長といったトップマネジメントと仲良くなることだ。海外船社はオーナー…続き
2021年1月21日
外航船舶代理店業協会(JAFSA)設立の経緯について話したい。JAFSAは、1965年に代理店約30社で設立した外船代理店協議会(SACJ)を発展的に解散し、1978年に発足した…続き
2021年1月20日
代理店業の難しいところは現地法人化だ。海外船社も、初めは日本のことがよく分からないので代理店に任せてくれるが、数年経って事業が大きくなると現地法人を作って自営化してしまう。そのた…続き
2021年1月19日
コンテナ化に伴い、代理店事業もだんだん難しくなってきた。特にしんどかったのは、船会社が独自にコンテナターミナルを造り、港のオペレーションに参入してきてからだ。以前は代理店が各港で…続き
2021年1月18日
飯垣隆三氏は1960年代から、海運代理店業に携わってきた。在来船時代に始まり、その後コンテナリゼーションを経て日本における海運代理店業がどのような変遷をたどり、また苦難に直面して…続き
2020年11月25日
オルデンドルフが60歳の定年を設けたため、私は2013年の春に定年退職した。まだ60歳なので何かやりたいなと思っていたところに、ポールから電話がかかってきて、「オルデンドルフをや…続き
2020年11月24日
パシフィックベイスンの香港での上場が決まったのを機に、2003年末にポールに暇をもらいたいと話し、承諾してもらった。すると、どこで聞きつけたのかオルデンドルフ・キャリアーズのブロ…続き
2020年11月20日
パシフィックベイスンの創業者である英国人のクリス・バッテリー、ポール・オーバーと知り合ったのは、私が東京シップブローカーズの時代、彼らがまだ香港のジャーディン・マセソンにいた時だ…続き
2020年11月19日
私は大学卒業後の1977年に材木ブローカーの泰生海事に入社した。当時は第一次オイルショック後の不況で就職先がどこにもなく、たまたま親が泰生海事の社長と知り合いだった縁でどのような…続き
2020年11月18日
望月良二氏はパシフィックベイスン、オルデンドルフ・キャリアーズなどの有力海外船社の駐日代表を歴任し、現在は小型LPG船社エピックガスの取締役駐日代表とハンディバルカー船社テイラー…続き
2020年10月23日
尊敬している先輩は数多い。皆さんにいろいろ教えてもらったし、可愛がってもらった。先輩には非常に恵まれた。川崎汽船は社風として意見をしっかり言えるし、その意見をしっかり聞いてもらえ…続き
2020年10月22日
私は昭和50年(1975年)に川崎汽船に入社した。その頃はオイルショックの後だったので就職先が少なかった。海運会社を志望したのは神戸で生まれ育ったので、近くに川崎重工、川鉄があっ…続き
2020年10月21日
川崎汽船のコンテナ船事業をONE(オーシャン・ネットワーク・エクスプレス)に統合する決断には全く迷いがなかった。2015年頃からの業界の変化で私が以前からずっとそういうことを考え…続き
2020年10月20日
ストレスフルな社長時代のストレス解消法はゴルフだった。ゴルフの魅力は没頭できることだと思う。ゴルフは楽しかったから良い気分転換になった。ゴルフ中も仕事が気になって仕方がないという…続き
2020年10月19日
連載企画『次代への戦訓』では今回、川崎汽船で社長、会長を務めた同社の村上英三特別顧問に話を聞いた。海運経営について「当たり前のことだが高くて余剰な船は造らない」「もし投資に至った…続き
2020年10月2日
2012年に当時の日本郵船の工藤泰三社長から、NGBと日之出郵船を合併してはどうかというお話を頂いた。合併の目的と経緯はすでにさまざまなところで説明されているので省くが、13年1…続き
2020年10月1日
ドライバルク市況の下落に追い打ちを掛けるように、外国為替市場で2009年以降円高が進行し、一時1ドル=70円台を付けた。海運経営にとって試練の時だったが、その時期にわれわれはかな…続き
2020年9月30日
NGBは国内のハンディバルカー船社の中では船隊の絶対数が多かったので、好況下でも規模を維持するためにある程度発注した。しかし特別高い船はできるだけ発注しなかった。前回話したように…続き
2020年9月29日
日本郵船はハンディバルカー部門を分社化して東朋海運と統合させ、2002年10月にNYKグローバルバルク(NGB)を発足させた。初代社長は川原三郎さん。運航規模は約100隻。分社化…続き
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