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該当記事:213件(121~140件表示)

2021年2月19日

《連載》次代への戦訓/三井住友信託銀行 尾中浩一氏①、「鉄の三角形」に海外勢を組み込む

 日本で首位、世界でも第4位の船舶融資残高を誇る三井住友信託銀行。日本では海運会社、国内船主(船舶オーナー)向けなどで長年の実績があり、自社の海外支店とクレディ・アグリコルとの提携続き

2021年1月22日

《連載》次代への戦訓/ベン・ライン・エージェンシーズ・ジャパン会長 飯垣隆三氏⑤、代理店は人が財産、さらなる進化を

 最後に、私なりに代理店業にとって肝要と考えることについて述べたい。  まず大切なのは、プリンシパルのCEOや社長といったトップマネジメントと仲良くなることだ。海外船社はオーナー続き

2021年1月21日

《連載》次代への戦訓/ベン・ライン・エージェンシーズ・ジャパン会長 飯垣隆三氏④、JAFSA通じ活動の幅を拡大

 外航船舶代理店業協会(JAFSA)設立の経緯について話したい。JAFSAは、1965年に代理店約30社で設立した外船代理店協議会(SACJ)を発展的に解散し、1978年に発足した続き

2021年1月20日

《連載》次代への戦訓/ベン・ライン・エージェンシーズ・ジャパン会長 飯垣隆三氏③、仕事確保へ常に奔走、円高にも苦心

 代理店業の難しいところは現地法人化だ。海外船社も、初めは日本のことがよく分からないので代理店に任せてくれるが、数年経って事業が大きくなると現地法人を作って自営化してしまう。そのた続き

2021年1月19日

《連載》次代への戦訓/ベン・ライン・エージェンシーズ・ジャパン会長 飯垣隆三氏②、代理店は“humble”、再スタートで実感

 コンテナ化に伴い、代理店事業もだんだん難しくなってきた。特にしんどかったのは、船会社が独自にコンテナターミナルを造り、港のオペレーションに参入してきてからだ。以前は代理店が各港で続き

2021年1月18日

《連載》次代への戦訓/ベン・ライン・エージェンシーズ・ジャパン会長 飯垣隆三氏①、代理店業、苦難の道のりとこれから

 飯垣隆三氏は1960年代から、海運代理店業に携わってきた。在来船時代に始まり、その後コンテナリゼーションを経て日本における海運代理店業がどのような変遷をたどり、また苦難に直面して続き

2020年11月25日

《連載》次代への戦訓、エピックガス/テイラー・マリタイム取締役駐日代表 望月良二氏⑤、トラブル時に真価が問われる

 オルデンドルフが60歳の定年を設けたため、私は2013年の春に定年退職した。まだ60歳なので何かやりたいなと思っていたところに、ポールから電話がかかってきて、「オルデンドルフをや続き

2020年11月24日

《連載》次代への戦訓、エピックガス/テイラー・マリタイム取締役駐日代表 望月良二氏④、オルデンドルフの強さの秘密

 パシフィックベイスンの香港での上場が決まったのを機に、2003年末にポールに暇をもらいたいと話し、承諾してもらった。すると、どこで聞きつけたのかオルデンドルフ・キャリアーズのブロ続き

2020年11月20日

《連載》次代への戦訓、エピックガス/テイラー・マリタイム取締役駐日代表 望月良二氏③、バッテリー氏・オーバー氏との出会い

 パシフィックベイスンの創業者である英国人のクリス・バッテリー、ポール・オーバーと知り合ったのは、私が東京シップブローカーズの時代、彼らがまだ香港のジャーディン・マセソンにいた時だ続き

2020年11月19日

《連載》次代への戦訓、エピックガス/テイラー・マリタイム取締役駐日代表 望月良二氏②、英国出張を契機にシップブローカーの道に

 私は大学卒業後の1977年に材木ブローカーの泰生海事に入社した。当時は第一次オイルショック後の不況で就職先がどこにもなく、たまたま親が泰生海事の社長と知り合いだった縁でどのような続き

2020年11月18日

《連載》次代への戦訓、エピックガス/テイラー・マリタイム取締役駐日代表 望月良二氏①、40年間最前線で実務に徹する

 望月良二氏はパシフィックベイスン、オルデンドルフ・キャリアーズなどの有力海外船社の駐日代表を歴任し、現在は小型LPG船社エピックガスの取締役駐日代表とハンディバルカー船社テイラー続き

2020年10月23日

《連載》次代への戦訓/川崎汽船 村上英三氏⑤、前例踏襲ではなく改革を

 尊敬している先輩は数多い。皆さんにいろいろ教えてもらったし、可愛がってもらった。先輩には非常に恵まれた。川崎汽船は社風として意見をしっかり言えるし、その意見をしっかり聞いてもらえ続き

2020年10月22日

《連載》次代への戦訓/川崎汽船 村上英三氏④、米英駐在で多くを学ぶ

 私は昭和50年(1975年)に川崎汽船に入社した。その頃はオイルショックの後だったので就職先が少なかった。海運会社を志望したのは神戸で生まれ育ったので、近くに川崎重工、川鉄があっ続き

2020年10月21日

《連載》次代への戦訓/川崎汽船 村上英三氏③、好調部門ほどリスク管理を徹底

 川崎汽船のコンテナ船事業をONE(オーシャン・ネットワーク・エクスプレス)に統合する決断には全く迷いがなかった。2015年頃からの業界の変化で私が以前からずっとそういうことを考え続き

2020年10月20日

《連載》次代への戦訓/川崎汽船 村上英三氏②、邦船の底力でONE誕生

 ストレスフルな社長時代のストレス解消法はゴルフだった。ゴルフの魅力は没頭できることだと思う。ゴルフは楽しかったから良い気分転換になった。ゴルフ中も仕事が気になって仕方がないという続き

2020年10月19日

《連載》次代への戦訓/川崎汽船 村上英三氏①、海運経営はリスク管理に尽きる

 連載企画『次代への戦訓』では今回、川崎汽船で社長、会長を務めた同社の村上英三特別顧問に話を聞いた。海運経営について「当たり前のことだが高くて余剰な船は造らない」「もし投資に至った続き

2020年10月2日

《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏⑦、NGBと日之出郵船の合併、組織融和に注力

 2012年に当時の日本郵船の工藤泰三社長から、NGBと日之出郵船を合併してはどうかというお話を頂いた。合併の目的と経緯はすでにさまざまなところで説明されているので省くが、13年1続き

2020年10月1日

《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏⑥、為替の超円高下で発注

 ドライバルク市況の下落に追い打ちを掛けるように、外国為替市場で2009年以降円高が進行し、一時1ドル=70円台を付けた。海運経営にとって試練の時だったが、その時期にわれわれはかな続き

2020年9月30日

《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏⑤、高船価船の発注抑制

 NGBは国内のハンディバルカー船社の中では船隊の絶対数が多かったので、好況下でも規模を維持するためにある程度発注した。しかし特別高い船はできるだけ発注しなかった。前回話したように続き

2020年9月29日

《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏④、マーケット高騰下で将来に備える

 日本郵船はハンディバルカー部門を分社化して東朋海運と統合させ、2002年10月にNYKグローバルバルク(NGB)を発足させた。初代社長は川原三郎さん。運航規模は約100隻。分社化続き