次代への戦訓

    2020年10月21日

    《連載》次代への戦訓/川崎汽船 村上英三氏③、好調部門ほどリスク管理を徹底

     川崎汽船のコンテナ船事業をONE(オーシャン・ネットワーク・エクスプレス)に統合する決断には全く迷いがなかった。2015年頃からの業界の変化で私が以前からずっとそういうことを考え続き

    2020年10月20日

    《連載》次代への戦訓/川崎汽船 村上英三氏②、邦船の底力でONE誕生

     ストレスフルな社長時代のストレス解消法はゴルフだった。ゴルフの魅力は没頭できることだと思う。ゴルフは楽しかったから良い気分転換になった。ゴルフ中も仕事が気になって仕方がないという続き

    2020年10月19日

    《連載》次代への戦訓/川崎汽船 村上英三氏①、海運経営はリスク管理に尽きる

     連載企画『次代への戦訓』では今回、川崎汽船で社長、会長を務めた同社の村上英三特別顧問に話を聞いた。海運経営について「当たり前のことだが高くて余剰な船は造らない」「もし投資に至った続き

    2020年10月2日

    《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏⑦、NGBと日之出郵船の合併、組織融和に注力

     2012年に当時の日本郵船の工藤泰三社長から、NGBと日之出郵船を合併してはどうかというお話を頂いた。合併の目的と経緯はすでにさまざまなところで説明されているので省くが、13年1続き

    2020年10月1日

    《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏⑥、為替の超円高下で発注

     ドライバルク市況の下落に追い打ちを掛けるように、外国為替市場で2009年以降円高が進行し、一時1ドル=70円台を付けた。海運経営にとって試練の時だったが、その時期にわれわれはかな続き

    2020年9月30日

    《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏⑤、高船価船の発注抑制

     NGBは国内のハンディバルカー船社の中では船隊の絶対数が多かったので、好況下でも規模を維持するためにある程度発注した。しかし特別高い船はできるだけ発注しなかった。前回話したように続き

    2020年9月29日

    《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏④、マーケット高騰下で将来に備える

     日本郵船はハンディバルカー部門を分社化して東朋海運と統合させ、2002年10月にNYKグローバルバルク(NGB)を発足させた。初代社長は川原三郎さん。運航規模は約100隻。分社化続き

    2020年9月28日

    《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏③、ドイツで倉庫事業、長契船と類似点

     物流部門も比較的長く、コンテナ船の欧州課の終わりの方から関わった。当時は日本のメーカーが現地生産のために欧州に進出し、それについていく形で邦船社の物流事業も海外に出ていった。何も続き

    2020年9月25日

    《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏②、高船価船発注の苦い経験

     タンカー部門にいた1989年にアラスカ沖で“エクソン・バルディス”号の油濁事故が起こり、賠償額は当初4000億円と言われた。これを契機にタンカーのダブルハル化の議論が加速した。当続き

    2020年9月24日

    《連載》次代への戦訓/NYKバルク・プロジェクト前社長 阿部 隆 氏①、コンテナ・鉄鋼原料船で基礎を学ぶ

     阿部隆氏は日本郵船グループのハンディバルカー・在来運航船社NYKバルク・プロジェクト(NBP)の社長を2018年まで務めた。04年にNBPの前身のNYKグローバルバルク(NGB)続き

    2020年9月18日

    《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長⑩、日本海事産業が世界で生きるには

     中国運輸局長を経て、2003年に海事局の技術審議官として本省に戻り、06年に海事局長となった。海事局長としての最大の課題が、海運業界から強い要望があったトン数標準税制の問題だった続き

    2020年9月17日

    《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長⑨、私的機関で議論、造船集約へ報告書

     造船業の集約問題に、役所としてどう取り組むか。通常の審議会は、業界の代表が顔をそろえるので骨抜きになるし、そもそも意見がまとまらない。ということで、造船課長の私的諮問機関が意見を続き

    2020年9月16日

    《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長⑧、造船大手の課題、解決策は集約

     造船業は海運業と同様に市況産業である。製造業でありながら、コストプラスアルファで価格が決まらない。価格は、市場が決めるのである。需給がひっ迫すれば大きな利益を生むし、供給過剰とな続き

    2020年9月15日

    《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長⑦、幻の造船補助金ルール

     OECDで造船の補助金とダンピングの規律策定をめぐる議論がいざ始まると、補助金については、痛いところの突き合いであった。ECに対しては、直接補助金は当然のこととして、国営企業の不続き

    2020年9月14日

    《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長⑥、造船国家助成めぐり紛糾

     第二次設備処理が完了した昭和の終わりごろ、私が造船課補佐官の頃に、日米造船摩擦が発生していた。これもプラザ合意と同様にレーガノミクスの余波で、米国政府が造船業への補助金を打ち切っ続き

    2020年9月11日

    《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長⑤、第二次不況策は設備処理+集約

     私が造船課専門官に着任した1984年(昭和59年)、造船各社は、三光ブームによって一定の仕事量を確保していたものの、政策的には、長期ビジョンで指摘されている集中度低下や需給不均衡続き

    2020年9月10日

    《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長④、束の間の好況と集中度低下の問題

     日本の新造船建造量は1978~79年(昭和53~54年)がボトムで、ピーク時の2000万総トンから550万トンまで落ち込んだが、その後にマーケットが急回復した。背景には79年(S続き

    2020年9月9日

    《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長③、不況対策が大手縮小と専業成長の契機に

     第一次造船不況の対策を具体的に振り返りたい。まず第一次設備処理として、1979年度(昭和54年度)の1年間で、建造量のピークだった基準年の73年(S48年)の980万CGT(標準続き

    2020年9月8日

    《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長②、第一次造船不況、対策一気に

     私が運輸省に入省する2年前の1973年(昭和48年)、第一次石油ショックが発生した。それ以前に日本の造船は空前のブームで、当時はVLCCを3隻建造したら1隻はただでもよいというく続き

    2020年9月7日

    《連載》次代への戦訓/日本海事協会 冨士原康一理事会議長①、造船不況、官民共闘の記録

     日本海事協会(NK)の冨士原康一理事会議長は、昭和50年代の第一次造船不況と第二次造船不況に際し、運輸省の若手官僚の頃から日本造船業の設備処理や一連の不況対策の立案と業界調整で中続き