次代への戦訓

    2020年4月6日

    《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏④、難産のケープサイズ保有

     新造船6隻の自己資金不足に直面した時、具体的にどうやって危機を乗り切ったかというと、まずは邦船大手にはチップ船の用船解約をお願いした。実は当初、銀行が同船の用船契約を担保に融資し続き

    2020年4月3日

    《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏③、円高で危機、資金繰りに奔走

     思い出深いのは、2008年に1700TEU型コンテナ船、09年に3893台積み自動車船と8万8000重量トン型石炭船を建造したことだ。いずれも川崎汽船向けだった。中国の高度成長で続き

    2020年4月2日

    《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏②、船田、三徳の支援で外航船拡大

     1993年には事務所を下蒲刈島から対岸の仁方に移した。その頃には父が事務所に出社することもなくなっていて、実質的には私と弟で経営していた。当時の外航船はまだ近海船1隻のみだった。続き

    2020年4月1日

    《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏①、船上で育つ、大きい船に興味

     連載企画『次代への戦訓』の第7回は、広島県呉市の船主である菅原汽船の菅原博文代表取締役。4月1日付で長年務めた社長を退いたのを機に、幼少期から社長退任までの来し方を振り返ってもら続き

    2020年3月6日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑫、日本海運未来への展望

     私が船舶金融の世界に入ってから40年、海運そして造船を取り巻く環境は一層厳しくなっている。その原因はいろいろあろうが、私はこの分野におけるコモディティ化の進行が極めて大きい要因の続き

    2020年3月5日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑪、ソリューション事業の展開

     アンカー社は投資ファンド事業以外にも船舶金融を通じたソリューション事業も展開してきた。地方船主への支援はそのひとつ。船主の資金負担の軽減策として船舶をアンカー(ファンド)で保有、続き

    2020年3月4日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑩、業界への浸透、変化対応でファンド事業が進化

     こうして船舶投資ファンド事業がスタートしていくわけである。中国ブームで海上物流が伸びていく中、船台の取り合いになるほど船舶の需要は旺盛であった。しかしながらいくら需要が見込めると続き

    2020年3月3日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑨、アンカー社誕生

     当時、国内には本格的な船舶投資ファンドは存在しなかった。しっかりした船主が大勢いるし、またリース会社もあったので、それで船舶のオーナーはまだ足りていたのだろう。しかし、だんだんと続き

    2020年3月2日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑧、船舶投資ファンド構想が浮上

     2006年3月に52歳でみずほコーポレート銀行の監査役を退任することになる。銀行員の場合、銀行の都合で子会社や取引先などの次の働き先が決まる。私は自分の意志で決めたいという気持ち続き

    2020年2月28日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑦、オフバラでの船舶調達を支援

     営業第七部で2年間次長を務めたので、次長ポストはそろそろ卒業ということになった。支店長や部長になる年齢ではないので、2000年6月に審査部に副部長として配属された。それは順当な異続き

    2020年2月27日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑥、商船三井/ナビックスが合併

     昭和海運の問題が片付いた後、今度はナビックスラインの話が出てきた。興銀出身で、当時のナビックスの社長だった堀さんが興銀の経営陣を訪ねてこられて、「大阪商船三井船舶の生田社長から合続き

    2020年2月26日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑤、再び海運、昭和海運問題手掛ける

     海運を離れてドイツに行けと言われた時には本当にうれしかった。海運の6年半は本当に消耗していた。  1988年にドイツの現地法人に赴任して、海運とは全く関係なく、欧州の国や企業、日続き

    2020年2月25日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏④、ナビックスライン誕生

     ジャパンラインへの債権放棄が終わるか終わらないかという時に、山下新日本汽船のメインバンクだった三和銀行からジャパンラインと合併させたいという打診があった。山新も単独で存続するには続き

    2020年2月21日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏③、ジャパンライン問題で奮闘

     1981年に帰国して6年半にわたって船舶融資の仕事をした。前半は日本郵船、川崎汽船、山下新日本汽船を担当するチームだったので、計画造船や自己資金船といった一般的な船舶金融に取り組続き

    2020年2月20日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏②、海運業は“経済安全保障”

     海運は大量の荷物を長距離輸送できる。鉄鉱石や石炭といったバルクもの、石油やガスといったリキッドものを低コストで大量に輸送できるのは海運しかない。海運は唯一無二の産業で優位性がある続き

    2020年2月19日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏①、戦後日本の海運金融史を語る

     連載企画『次代への戦訓』の第6回は、日本興業銀行、みずほ銀行で船舶融資を担い、日本最大の船舶投資ファンドを立ち上げたアンカー・シップ・パートナーズの辻肇会長。戦後ニッポンの海運金続き

    2020年2月18日

    《連載》次代への戦訓/第一中央汽船・薬師寺正和氏⑥、「いつかお返しします」

     法的整理で一応の区切りがつき、責任を取って身を引く予定であったが、管財担当の先生方からの会社再建の目途をつけるまでは続けろとのご指導に従い、検討を開始した。  選択肢はいくつかあ続き

    2020年2月17日

    《連載》次代への戦訓/第一中央汽船・薬師寺正和氏⑤、万策尽きる

     2015年に入り、船主の皆さんに用船料の20%減額を要請した。その頃には為替が円安基調になるなど船主の経営環境は多少良くなっていたが、船主経営への影響も考慮して2割カットをお願い続き

    2020年2月14日

    《連載》次代への戦訓/第一中央汽船・薬師寺正和氏④、450億円の支援で時間的猶予

     当時の第一中央汽船にはもうほとんどお金がなく、社長就任まで会社がもつのかと考えたほどだった。ところが、社外の方々はそれほど深刻な経営状態だとは思っていなかったので、協力をお願いし続き

    2020年2月13日

    《連載》次代への戦訓/第一中央汽船・薬師寺正和氏③、第一中央汽船社長就任

     2010年6月に商船三井の副会長に就任した。副会長の2年目に入り、その年で任期が終わると思っていたので、老後をどのように過ごすか楽しい計画を考えた。色々な選択肢の中からみかん畑を続き