次代への戦訓

    2020年7月31日

    《連載》次代への戦訓/元・飯野海運/元・フェアフィールド・ジャパン 早瀬幸利氏⑤、ケミカル船、事業環境は変化

     2005年に飯野の特別顧問を辞して、プールオペレーションのパートナーでもあるフェアフィールド・ジャパンに転職した。05年4月に同社副社長、翌06年8月に社長に就任した。その素地は続き

    2020年7月30日

    《連載》次代への戦訓/元・飯野海運/元・フェアフィールド・ジャパン 早瀬幸利氏④、自主運航へと踏み出す

     先ほど述べたサビック社との輸送契約は実体としてエム・ティー・マリタイム・マネージメントとの共同事業だったが、飯野はその間、海外への人材を派遣を通して積極的にケミカル船のオペレーシ続き

    2020年7月29日

    《連載》次代への戦訓/元・飯野海運/元・フェアフィールド・ジャパン 早瀬幸利氏③、サビック向け契機に中東展開

     サウジアラビアはかつて石油随伴ガスをただ燃やしていたが、この貴重な資源を石化工業原料として有効活用し、商業化することが長年の夢であった。そのため、サウジアラビア基礎産業公社(サビ続き

    2020年7月28日

    《連載》次代への戦訓/元・飯野海運/元・フェアフィールド・ジャパン 早瀬幸利氏②、共同事業通じて知見得る

     73年油槽船部から分離独立して“特殊”油槽船部(ケミカル、ガス部門)が誕生していたが、当初は内外航のガス船事業が専らだった。内航は通常のプロパン、ブタンの続き

    2020年7月27日

    《連載》次代への戦訓/元・飯野海運/元・フェアフィールド・ジャパン 早瀬幸利氏①、ケミカル船業界で45年

     連載企画「次代への戦訓」の第9回は、ケミカル船業界の知見、経験の深い早瀬幸利氏。同氏は大学卒業後、飯野海運に入社し、2004年に代表取締役専務を退任するまで、飯野海運のケミカル船続き

    2020年5月26日

    《連載》次代への戦訓/東神インターナショナル 丸山博史会長⑥、「恵まれた縁と運」で34年

     私自身、これまでの34年間、シップブローカー業を続けてこられたので “性に合っていた”ということなのだろう。最も大きいのは、周囲の皆さんに助けていただいたこと、そして運が良かった続き

    2020年5月25日

    《連載》次代への戦訓/東神インターナショナル 丸山博史会長⑤、独り立ちできる実力を磨く

     私が業界に入った時は顧客とお付き合いをしていれば仕事は来ると言われていたが、そのような時代は既に終わっている。しかし、単に引き合いだけの情報ではなく、一般情報を含めて早く、正確に続き

    2020年5月22日

    《連載》次代への戦訓/東神インターナショナル 丸山博史会長④、生き残り策を模索する

     日本のシップブローカーはもともと1960年頃に英国や米国のブローカーにノウハウを教えてもらった。当時、海外は石油需要が伸びてタンカーが大型化して船が増えていく時代で、日本もいずれ続き

    2020年5月21日

    《連載》次代への戦訓/東神インターナショナル 丸山博史会長③、ブローカーは緩衝材

     シップブローカーは専門的な知識が必要で、船主と用船者の間に立って緩衝材となり直接の衝突を避ける大切な役割を果たしている。私がブローカーとして心がけていることが2つある。1つは、人続き

    2020年5月20日

    《連載》次代への戦訓/東神インターナショナル 丸山博史会長②、石油会社・船社再編で変わる事業環境

     東神インターナショナルは前身の東神タンカーが1964年にタンカーのブローキング部門を立ち上げたことに端を発する。東神タンカーは内航船主部門も持っていて、バージを5隻所有していたが続き

    2020年5月19日

    《連載》次代への戦訓/東神インターナショナル 丸山博史会長①、造船業からブローカー業に転身

     連載企画「次代への戦訓」の第8回は、東神インターナショナルの丸山博史会長。造船業界からシップブローカーに転身し、東神インターナショナルの経営を担うとともに、2009年からの3年間続き

    2020年4月9日

    《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏⑦、呉に船田海運あり

     地元に船田海運と喜望峰の会があったからこそ現在の当社がある。若い頃に休暇などで陸に上がった時には、船田海運に行っていろいろな話を聞いて学んでいた。それから間もなく船田海運が外航船続き

    2020年4月8日

    《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏⑥、船主業の魅力は大きいこと

     船主ビジネスの魅力は、単純に全ての物が大きいことにある。ケープサイズは載貨重量が20万トンもある。普通の船でも全長200mはあるが、そういう大きい船が保有できるし、投資額も数十億続き

    2020年4月7日

    《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏⑤、PCLショックで危機に

     円安になって当社の経営も安定したと思ったのだが、今度は用船者の信用不安が相次いで浮上した。2015年には第一中央汽船が民事再生法の適用を申請した。当社は2隻を貸船していたが、1隻続き

    2020年4月6日

    《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏④、難産のケープサイズ保有

     新造船6隻の自己資金不足に直面した時、具体的にどうやって危機を乗り切ったかというと、まずは邦船大手にはチップ船の用船解約をお願いした。実は当初、銀行が同船の用船契約を担保に融資し続き

    2020年4月3日

    《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏③、円高で危機、資金繰りに奔走

     思い出深いのは、2008年に1700TEU型コンテナ船、09年に3893台積み自動車船と8万8000重量トン型石炭船を建造したことだ。いずれも川崎汽船向けだった。中国の高度成長で続き

    2020年4月2日

    《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏②、船田、三徳の支援で外航船拡大

     1993年には事務所を下蒲刈島から対岸の仁方に移した。その頃には父が事務所に出社することもなくなっていて、実質的には私と弟で経営していた。当時の外航船はまだ近海船1隻のみだった。続き

    2020年4月1日

    《連載》次代への戦訓/菅原汽船 菅原博文氏①、船上で育つ、大きい船に興味

     連載企画『次代への戦訓』の第7回は、広島県呉市の船主である菅原汽船の菅原博文代表取締役。4月1日付で長年務めた社長を退いたのを機に、幼少期から社長退任までの来し方を振り返ってもら続き

    2020年3月6日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑫、日本海運未来への展望

     私が船舶金融の世界に入ってから40年、海運そして造船を取り巻く環境は一層厳しくなっている。その原因はいろいろあろうが、私はこの分野におけるコモディティ化の進行が極めて大きい要因の続き

    2020年3月5日

    《連載》次代への戦訓/アンカー・シップ社 辻肇氏⑪、ソリューション事業の展開

     アンカー社は投資ファンド事業以外にも船舶金融を通じたソリューション事業も展開してきた。地方船主への支援はそのひとつ。船主の資金負担の軽減策として船舶をアンカー(ファンド)で保有、続き