2023年9月27日無料公開記事次代への戦訓 内航NEXT

《連載》次代への戦訓
フェリーは航路とダイヤが鍵
名門大洋フェリー前会長 阿部哲夫氏③

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 平成に入ってから運航船を立て続けにリプレースした。1989年に“ニューぺがさす”と“ニューおりおん”を投入。92年には“フェリーおおさか”と“フェリーきたきゅうしゅう”を就航させ、4隻とも大きさを揃えた。積載台数を増やして営業を強化したことで、業績も上向いた。
 平成以降の新造船は鉄道建設・運輸施設整備支援機構(JRTT)との共有船で建造している。これまでに10隻を共有建造制度で建造し、長距離フェリーの中で名門大洋フェリーが最も多いのではないかと思う。以前は共有建造制度の対象は中小型船だけだったが、その後フェリーも対象にして頂き、当社はいち早く活用させて頂いた。金利が15年固定なので、景気に左右されず安定した経営を続けることができた。
 私は、一旦ケイハンに戻り、91年に名門大洋フェリーに復帰した。
フェリー事業を始めたのは義父の西田慎一郎氏で、フェリーに対して並々ならぬ思い入れがあった。そうしたオーナー家の意向もあり、私が取締役として名門大洋フェリーに入った。当時は商船三井出身の小林三郎氏が社長を務めていたが、次はケイハン出身者が社長になることが分かっていたので、経営者になるための勉強をしていた。社長は2期4年で交代するという不文律があったが、結果的に私はフェリー人生32年のうち26年間代表権を持っていた。ケイハンはオーナー企業であり、会社経営上の問題により私が長らく経営を担うことになった。
 競合の多い関西/九州航路でこれまで事業を続けることができたのは、先輩方が残してくれた航路とダイヤのお陰だと思っている。北九州航路は福岡や熊本といった経済圏へのアクセスが容易で、上り便・下り便の荷物が安定しており運営しやすい航路と言える。
 4隻で2往復というのも重要なポイントだ。名門大洋フェリーは午後5時発の1便船と午後7時50分発の2便船が同じ場所から出る。貨物中心の1便船は翌朝5時半に着くので、九州圏内への集配が可能になる。旅客の利用者にとっては多少不便だが、船内滞在サービスを実施し、お客様にサービスを提供している。2便は仕事が終わってから乗れる時間設定に加え、時間的に1便に乗船できなかった場合2便に乗ることができる。フェリーは航路とダイヤがストライクゾーンにマッチしないと乗ってもらえないと改めて感じる。
 合併の際に負債で両親会社に迷惑を掛けており早期に配当することを約束していた。正直プレッシャーはあったが、比較的安定した経営状況を維持できたのも、航路とダイヤの優位性のお陰だと思っている。

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