2023年9月25日無料公開記事次代への戦訓 内航NEXT

《連載》次代への戦訓
高速無料化などの課題に業界団結
名門大洋フェリー前会長・阿部哲夫氏①

  • X
  • facebook
  • LINE

 名門大洋フェリーの前社長・会長でフェリー業界の発展に長年貢献した阿部哲夫氏。競争の激しい関西/九州航路で貨物・旅客スペースを重視したフェリーを新造するなど、過去にとらわれない事業を展開した。大阪フェリー協会では業界一丸でフェリー利用促進策を進めたほか、業界を挙げた高速道路無料化反対運動の先頭に立った。大型カーフェリー労務協会では長年交渉委員を務めた。大阪フェリー協会会長時代を中心に業界活動を振り返ってもらうとともに、フェリー会社の経営の要所、業界の次の世代へのメッセージなどを聞いた。

 大阪フェリー協会の会長を名門大洋フェリーの社長を務めていた小林三郎氏から引き継いだ。その際に小林氏からは「港湾の運営を含めた実務があるので大阪フェリー協会の会長職を引き受けるべきだ」という助言を頂いた。私も業界を挙げて取り組むべきだと考え、会長を引き受けた。1999年に大阪フェリー協会と大阪港埠頭公社(当時)とで「大阪港カーフェリー活性化協議会」を発足させた。当時、公社が業界団体とこの種の組織を設置するのは全国で初めてだった。
 ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の開業が目前に迫っており、大阪南港からUSJまでの利用客の輸送などについて協議した。海上アクセス航路「ドリームシャトル」を開設したほか、大阪南港発着のフェリー会社のウェブサイトへの玄関口となる「大阪南港カーフェリーポータルサイト」を設置するなど、一致団結してフェリー利用促進に取り組むことができた。
 大阪フェリー協会での活動で最も印象に残っているのは、民主党政権時代の高速道路無料化反対の活動だ。大阪フェリー協会主導でとにかく旗を振ろうと呼び掛けた。最終的には他地域も含めて陳情したが、ムーブメントを起こしたのは大阪フェリー協会だ。
 当時の国土交通大臣に面会して直接陳情を行ったが、方針を覆すには至らなかった。
 当時は燃料高も重なってフェリー各社の経営状況はかなり苦しかった。名門大洋フェリーも土日の一部の便を運休せざるを得なかったが、停泊しても人件費は変わらないためあまりコストセーブには結び付かなかった。どの状況で運休するかという判断は非常に難しい。
 また、大阪南港の港湾施設料金の値下げを何年にもわたって大阪港埠頭公社に訴えた。同港の料金は他港に比べて高く、フェリー会社にとっては切実な問題だった。その成果もあり、岸壁や桟橋、フェリー向け駐車場と車両整理場の使用料を減額して頂いた。その後も大阪港埠頭公社の方とは喧々諤々の議論をした。
 このように、集約された声を上げるという点で、大阪フェリー協会の果たした役割は大きかったと思う。しかし、フェリー事業をやめRORO船に特化したり倒産する船社などもあって退会が続き、加盟社が年々減少して最終的にフェリーさんふらわあ、四国開発フェリー、名門大洋フェリーの3社だけになってしまった。大阪港と神戸港の埠頭会社が統合して阪神国際港湾株式会社が2014年に設立されたり、大阪市と大阪府の港湾局が統合して大阪港湾局が発足するなど、取り巻く環境も変化した。そのような中で大阪フェリー協会としての貢献が難しくなったと判断し、21年3月に49年の歴史に幕を下ろすこととした。
 その後、阪神港として間口を広げたエリアで協議会をつくることになり、阪神港を発着する中長距離フェリー6社で「阪神フェリー協議会」を21年10月に発足した。私は暫定的に会長を仰せつかったが、今後の活動は若い皆さんに付託している。フェリー初心者に向けた特設サイト「ARE YOU FERRY?はじめてのフェリー旅」を阪神国際港湾の協力を得て開設するなど、大阪フェリー協会時代よりも活動は活性化していると思う。直近では大阪・関西万博の対応もあり、フェリー客を会場までどうやって輸送するか詳細を詰めている。個社では対応が難しいことは必ずあるので、実務的な業界団体はこれからも必要だ。
(この連載は坪井聖学、伊代野輝が担当します)

関連記事

  • Sea Japan 2024 特設サイト
  • カーゴ