2023年3月16日無料公開記事内航NEXT 内航キーマンインタビュー

<内航NEXT>
《連載》内航キーマンインタビュー㉛
働きやすさ向上、男性船員も育休
白石海運、白石紗苗取締役に聞く

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白石取締役

 内航タンカー船社の白石海運(大阪市港区)は自社船2隻を管理し、船員は自社だけでなく他社にも派遣している。白石紗苗取締役にインタビューすると、船員が働きやすい環境整備に力を入れていることを強調。休暇体制を確保して男性船員も育休を取得できたり、女性船員が陸上勤務となった際はリモートで安全担当を任せるなどして、ヒューマン・リソースの活用を向上させている。近畿内航船員対策協議会(事務局=国土交通省近畿運輸局)では、児童養護施設で船や船員について講演し、「子供たちの目線に立って話しており、将来の目標や夢を持ってもらいたい」と望んでいる。

■平水から沿海へ

 — 会社概要を教えてほしい。
 「1954年(昭和29年)に祖父の白石利文が中古船を買船して始めたのが創業で、いまは父・白石昭二が2代目社長だ。現在、船主として“第八大島丸”(199総トン、2002年)と“大島丸”(497総トン、2016年)を所有して、黒油を運んでいる。旭タンカーで長く使ってもらっている」
 「もともと“第八大島丸”1隻だけで、一杯船主として社長がずっと船長で乗っていた。しかし中古の“大島丸”を購入する際、安全確保や資金面を確かにしていくため、家族経営から会社組織とするようにした。陸上では、経理、工務、安全、人事と担当を分けて、それぞれ役割を持ったスタッフを配置して船の安全を守っている。社員は海陸合わせて20人強だ」
 — 2隻目を持った理由は。
 「社長仲間で『もう1隻持ってみないか』と言われて、背中を押されたようだ。2008年に買船し、修繕して使った。11年の東日本大震災で、電力不足の問題から九州電力の専用船として“大島丸”を使いたいという話が用船者を通してあり、船を改造することになった。だが、これが大変だった。もともと運航区域は平水なので沿海に変更することになった。平水と沿海では仕様がまったく違う。また船級も平水はJGだが、沿海はNK(日本海事協会)となるため船級変更は大変だった。荷主から用船者を通して改造費用は出たが、平水で余生を送る予定だった古い船だったため、運航中の不具合、高額な機器の載せ替えでどんどん赤字になった。だが、平水から沿海に出るチャンスを得たときでもあった。赤字になったので、ゼロに戻してスタートすることを目標に5年かけて経営改善した。船員も自社でやりくりして、本船の自社管理に力を入れた。今はプラスになっていて、タンカー2隻も船員も自社管理で、船員派遣許可も取得して船員派遣もできる体制になった」

■船員が働きやすい環境

 — 経営改善は厳しかったか。
 「そうだったが、がんばって戻した。そういう中で、船員の福利厚生や休暇体制を確保してやっていくことが重要なポイントだと気づいた。船の入渠時期も10年先まで見通して、船員の休暇体制も1年先まで見ている。船員もいつ下船できるかわからないというのは不安だ。小さな子供を持つ船員もいる。いつ休みがあるかわかれば、子供のイベントや家族旅行にも行けるので、船員には休暇を約束している。昨年12月、初めて男性船員に育休を1カ月とってもらった。『親の死に目にも会えないのが船員の矜持』とも言われるが、家庭第一と考えて休暇をとってもらっている」
 — 働き方改革が重視されているが、男性船員の育休取得はなかなか聞かない。
 「私も昨年に出産を経験したが、人生で一度しかない瞬間を当社の船員にも見せてあげたいと思った。自分の子供の出産時に奥さんのそばで見届けてほしい。船員には休暇をとって旅行にも行ってほしい。みんなの生活を向上させることが私の思いだ」
 — 船員に対して他に行っていることは。
 「女性船員が3人いて、一人は陸上勤務だ。結婚をきっかけに陸上勤務に転向し、リモートで当社の仕事を継続できるようにした。彼女は三重県に住んでいて、船員の安全担当として乗船前教育を行っている。乗船前教育というのは、休暇の船員が明日から乗船するというとき、休暇中に船でどんなことがあったか、他の船でこんなトラブルがあったとかを伝えることだ。特に新人船員はなぜそれが起きたかがわからないので、ベテラン船員の彼女からその背景や理由、対処法などを解説してもらう。三重から佐賀県にいる船員にリモートで教育するといった具合だ。以前は船員に大阪の事務所まで来てもらった。それでは新幹線代もかかるし、船員の休暇も1~2日とってしまったので、いまはリモートを活用している」
 「当社のもう1つの特長は、船員には乗りたい船に乗ってもらうようにしていることだ。船員には気持ちよく仕事ができる場を提供したい。船員派遣業の認可を得たことで、働きたい場所に配置するのが自分の仕事だと思っている」
 「秋田の能代港の洋上風力発電プロジェクトで、CTV(作業員輸送船)の船員派遣の要請をいただき、当社から女性船員を派遣した。彼女は帰ってきてから、『楽しく仕事ができた』と話していた。当社もCTVの仕事はいい経験になったと思っている」

■内航はぎりぎり

 — 内航業界について思うこと。
 「内航に魅力を感じてオーナー業を続けるような人が減っていく気がしている。その理由の1つに運賃が低いというのがある。なんとか船を動かさないといけないという思いでやっているオーナーばかりだ。ぎりぎりの経費削減をやっている。次の世代にバトンを渡せるかというとかなり難しい。内航が存続しないと、国内の産業や生活が成り立たなくなってしまうはずだ。だが、いまのままでは内航はどこかで限界がくるのではと危惧している。オーナー同士で協力したり横のつながりを持っていきたいと思っている」
 — 白石海運のこれからは。
 「日本は島国なので、199総トンのような小型船しか入れない小さい港もたくさんある。今後、電気やハイブリッドのような船が数隻造られた際、船を持ちたい会社が船を持ち、船舶管理を得意とする会社が数隻管理するという形がいいと思っていて、そういう船舶管理の仕事がしたい。地球にやさしい船をシリーズ化して運航するのが夢だ。新しい船で、船員が生き生きと生活する場を提供したい。船員という職業のステータスを上げていきたい。だから子供たちに船の仕事を知ってもらうようにしている」

■子供の目線で

 — 近畿内航船員対策協議会の仕事として子供たちに講演を続けている。
 「もともと協議会の上窪良和特別顧問(田渕海運顧問)が、小中学校や水産高校、退職自衛官などに船員の仕事で講演していた。私は児童養護施設の子供たちに話をしている」
 — 児童養護施設を選んだ理由は。
 「きっかけは新聞で、児童養護施設の子供たちが18歳で施設を出て、自分で生きていかないといけないという記事を見たことだ。施設の子供たちは団体生活で暮らしているので、船員という仕事にあうのではないかと思った。私が子供の頃、通学で児童養護施設の近くを通っていたことがある。もともとは、はしけで働く人たちが子供を学校に通学させるため預けていたところという話を母から聞き、船に縁があると思ったのも講演しようと思った理由だ」
 — 施設での反応はどうか。
 「やって反応がいいのは先生たちだ。『そんな仕事知らなかった』と言われたりする。海運業の仕事を伝えられたらいいと思って始めたが、最近はちょっと変わってきた。いまは船員にならなくても、子供一人一人が夢を持ってもらえたらいい」
 — 海の仕事は広く関わりがある。
 「それも話している。船を造る造船所の仕事もあるし、船のポンプといった機器、部品を作る仕事もある。いろんな見方があるということを伝えたい。最初は、船員になってほしいという気持ちが先走って講演していたが、途中から『違うんじゃないか』と思った。船員になってほしいというアプローチで接するとこちらからの要求ばかりで、子供たちも『はあ』という感じだった。でも子供たちの目線に立って、目標を持ってやってほしいことを伝えるとよく聞いてくれるようになった」
 — 子供たちにどんな変化が起きたか。
 「アンケートを見ても、最初は船員に『興味ない。ケーキ屋さんになりたいから』といったものだった。最近、レゴブロックの船を自前で作って持っていったら、『レゴブロックが楽しかった』『船の仕事に興味をもった』と講演に参加した感想になっていた。何年かして、『あのお姉さんの話が面白かった』と印象に残るような講演をしていきたいと思っている」
(聞き手:坪井聖学)

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