2022年7月22日無料公開記事内航NEXT 次代への戦訓

《連載》次代への戦訓
東京湾アクアライン向けの資材輸送
日本内航海運組合総連合会前会長 小比加恒久氏④

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 東都海運は先代の小比加健が1949年(昭和24年)8月に設立した。設立当初は船を1隻も持っておらず、利用運送のような形でスタートした。当時の主な仕事は、日立製作所の亀有工場からのプラント据付までの一貫輸送。トラックを手配して工場から港まで輸送し、港で積み付けの作業をして船を探してきて輸送し、揚げ地で据え付けを行うまでを一貫で手掛けていた。一貫輸送は今も比較的実入りのいい仕事だが、当時もおそらくそうだったのだろうと思う。その他にラサ工業向け鉱石輸送などを行っていた。ただ、日立製作所が亀有工場から撤退することになり、当社も日立の別の工場がある茨城や山口などに拠点を移したらどうかと勧められたようだが、それは断ったそうだ。亀有工場の仕事がなくなった後はいろいろなことをやっていたらしい。日立関係のプラントなどは引き続き取り扱わせて頂き、柏崎刈羽原子力発電所向けのタービンやタンクなどの輸送も行った。途中で自社船を持つようになり、船型も徐々に大型化していった。
 私が入社した後も取扱い貨物が徐々に変化していった。例えば商社系の飼料は丸全昭和運輸が窓口になっていたが、私がたまたま同社に一時いたこともあってとんとん拍子で話が決まった。また、ガラスの原材料の珪砂を日本板硝子など向けに輸送していた名古屋の会社を吸収合併した。先代が海運組合の関係でいろいろな方とお付き合いする中で鉄鋼メーカーとのお付き合いが始まり、鋼材を運ぶようになった。当社で扱わない貨物は液体ものぐらいで、それ以外のバルクものはプラントも含めて全て取り扱っている。
 現在の当社の運航船隊は3隻で、全て499総トン型。さらに、今年の秋口から暮れにかけて用船の新造船1隻が加わる予定になっている。内航海運暫定措置事業が始まった頃の当社の船隊は5隻で、鋼材輸送が最も忙しかった時は他社から船を借りてきて鋼材輸送に張り付けることもあったので、ピーク時と比べると隻数は減った。ただ、荷主や大手海運・物流会社などとの資本関係のない完全な独立系のコモンキャリアとしてやってきたので、業界内でそれなりの顔とノウハウがあると自負している。
 非常に面白くてやりがいがあった仕事が、日鉄物流と組んで行った東京湾アクアライン向けのセグメントというトンネルの内側にはめ込むコンクリート製品の全数量の輸送だ。プラントなどはなかなか現地に行って自分たちが輸送したものを見るというわけにはいかないが、アクアラインは実際に車で走って見ることができるので、なかなかすごい仕事をやったんだなと実感できる。アクアライン向けの輸送は2年半かかり、船を3~4隻張り付けて御前崎と川崎の間を1日2~3航海のスケジュールを組んで輸送した。このプロジェクトは日鉄物流が中心になり、山九と小川運輸という港運会社の3社のジョイントベンチャーが行っていた。当社の先代が小川運輸出身で私も付き合いがあったので、日鉄物流、山九と話をまとめてもらって当社の単独配船になった。
 原子力発電所向けの資材輸送も日立関係のものはほとんどやり、柏崎刈羽原発向けは当社がほぼ全量を輸送した。ただ、原発向けの輸送は2011年の東日本大震災以降なくなり、地元の方々のことを考えると複雑だが、原発が再開するとわれわれの仕事のうえでは大変有難い。発電関連では他にも風力発電や火力発電向けのプラント輸送もあるが、原発向けの輸送は量が多く期間も長いからだ。
 このほかに入社以来で印象に残っているのは1974年の全日本海員組合との闘争で、周囲のご尽力もあって解決することができた。

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