次代への戦訓

    2024年7月12日

    《連載》次代への戦訓/飯野海運相談役・當舍裕己氏①、守りと変革でユニークな企業に

     飯野海運の社長を2016年6月から23年3月までの約7年間務めた當舍裕己氏(現相談役)。社長任期中は海運市況の変動のみならず、コロナ禍という未曽有の危機や、脱炭素への動きの加速な続き

    2024年6月24日

    《連載》次代への戦訓、三光汽船・田端仁一社長⑥、厳しくも懐が深い荷主に感謝

     当社は会社更生法申請後、多くの日本の荷主の間では出入り禁止状態になったが、日本製鉄だけは当社が倒産した後もずっとお付き合いを続けてくださった。COA(数量輸送契約)を頂いたことも続き

    2024年6月21日

    《連載》次代への戦訓/三光汽船・田端仁一社長⑤、リーマン危機を期にシティ退職、破産村へ

     シティバンク時代は仕事上海運業界とかかわることが全くなかったので、すっかり疎遠になってしまった。海運業界に就職した商船大の同期とたまに飲みに行っていたが、仕事の話はほとんどしなか続き

    2024年6月20日

    《連載》次代への戦訓/三光汽船・田端仁一社長④、シティに転職、海運業界に別れ

     反田産業汽船を退職した当時(1987年3月)は全日本海員組合員を対象に年齢制限なしの早期退職を募集していて、同年6月30日まで在籍(7月1日以降の退職)していればそれなりの退職金続き

    2024年6月19日

    《連載》次代への戦訓/三光汽船・田端仁一社長③、神戸商船大から航海士へ

     私のキャリアは外航船員からスタートし、外資系銀行員、管財人、そして三光汽船の社長という経歴を歩んできた。このような経歴の持ち主はおそらく他にはいないと思うので、どうしてこのような続き

    2024年6月18日

    《連載》次代への戦訓/三光汽船・田端仁一社長②、船舶管理が重要

     三光汽船は1985年と2012年に会社更生法の適用を申請した。1回目は新造船の大量発注を行って失敗し、2回目は大量用船を行って失敗した。私から見てこれは投機的投資であり、その体質続き

    2024年6月17日

    《連載》次代への戦訓、三光汽船・田端仁一社長①、海運事業終了、会社更生から10年で幕

     不定期船オペレーターの三光汽船(東京都港区)は、今月中に一部役職員を除き大半の役職員が退職して海運事業を終了することになった。同社は2012年に会社更生法の適用を申請し、14年に続き

    2023年10月23日

    《連載》次代への戦訓/大洋電機会長・山田信三氏⑥、岐阜工場を整備、大型化に対応

     一昨年、念願の新工場が岐阜に完成した。  もともと、当社は岐阜県内に、岐阜工場(笠松)、可児工場、岐阜羽島工場を持っていたが、このうち主力の岐阜工場を移転して、新工場を建設した続き

    2023年10月20日

    《連載》次代への戦訓/大洋電機会長・山田信三氏⑤、日本ブランド、パッケージで売り込む

     日本舶用工業会(日舶工)の活動に取り組む中で、日本の舶用工業がビジネスを継続するためには、世界の船主や造船所に日本のブランドを認めてもらわなければいけないとの思いが強くなっていっ続き

    2023年10月19日

    《連載》次代への戦訓/大洋電機会長・山田信三氏④、舶用工業、連携の重要性が増す

     私は1997年に日本舶用工業会(日舶工)の理事に就任し、以降、四半世紀にわたり役員を務めた。日舶工の会員企業は、当社を含め、オーナー企業が多い。また、100年以上の歴史を持つメー続き

    2023年10月18日

    《連載》次代への戦訓/大洋電機会長・山田信三氏③、国内営業、造船業変遷の時期

     入社から約10年は輸出をメインに担当していたが、1985年頃からは、国内営業も担当するようになった。日本鋼管(NKK)や三菱重工業などいろいろな方とお会いしたが、国内営業において続き

    2023年10月17日

    《連載》次代への戦訓/大洋電機会長・山田信三氏②、輸出担当、凝縮された韓国での10年間

     入社3年目の1974年から、舶用単体輸出を約10年間担当したが、この時期がキャリアの中でも、一番凝縮された10年間だったと思う。多くを学んだし、現在までの長い付き合いとなる、いわ続き

    2023年10月16日

    《連載》次代への戦訓/大洋電機会長・山田信三氏①、世界に軸足、業界の未来へ「連携」がカギ

     舶用発電機大手の大洋電機で、1996年から27年にわたり社長を務めた山田信三氏(現会長)。長年の営業活動を通じて海外造船所が台頭していく姿を目にし、日本の舶用メーカーが生き残るに続き

    2023年10月10日

    《連載》次代への戦訓/日本郵船・内藤忠顕特別顧問④、海事は民間活力で産業育成を

     ONE(オーシャン・ネットワーク・エクスプレス)誕生の背景についてお話しすると、ONE発足以前の当社の定期船事業は赤字体質からなかなか脱却できず、事業の大幅縮小や撤退も議論のテー続き

    2023年10月6日

    《連載》次代への戦訓/日本郵船・内藤忠顕特別顧問③、郵船の強み再興、技術で差別化へ

     ご質問も頂きましたので、私が取り組んできた燃費節減運動や「きらり技術力」運動など技術や環境全般についてお話しいたします。海運バブルだった2005年頃に、海運事業を揶揄する言葉とし続き

    2023年10月5日

    《連載》次代への戦訓/日本郵船・内藤忠顕特別顧問②、NCAの教訓、戦術より戦略を

     次に、戦略と戦術の違いを意識して考えていくことの重要性について述べます。  これ以降は、“次代への戦訓”は読み物であるとお聞きしたので、個人的な見解を示しており、事実や史実を忠続き

    2023年10月4日

    《連載》次代への戦訓/日本郵船・内藤忠顕特別顧問①、不祥事対応に苦慮、意思疎通を密に

     日本郵船の内藤忠顕特別顧問(元社長・会長)の社長在任中は、自身が「パーフェクト・ストーム」と名付けた大不況の真っただ中だった。その中でコンテナ船事業の立て直し、続出する不祥事対応続き

    2023年9月29日

    《連載》次代への戦訓/名門大洋フェリー前会長・阿部哲夫氏⑤、議論を重ね活気ある業界に無料

     経営者はタフな交渉を求められる場面が多い。2001年に新門司のフェリー基地用地をケイハンから取得した経緯は印象深い。私は社長になった時から、フェリー事業をするなら自社で岸壁を含む続き

    2023年9月28日

    《連載》次代への戦訓/名門大洋フェリー前会長・阿部哲夫氏④、三菱下関と新タイプの客室開発無料

     2002年に新造船“フェリーきょうと2”と“フェリーふくおか2”を就航させた。この2隻は当社が三菱重工下関造船所で初めて建造した船続き

    2023年9月27日

    《連載》次代への戦訓/名門大洋フェリー前会長・阿部哲夫氏③、フェリーは航路とダイヤが鍵無料

     平成に入ってから運航船を立て続けにリプレースした。1989年に“ニューぺがさす”と“ニューおりおん”を投入。92年には&ldquo続き