次代への戦訓

    2025年2月26日

    《連載》次代への戦訓、日本郵船元副社長・石田忠正氏⑨、幹線物流支える貨物鉄道

     「意識改革」に続く、JR貨物の経営改革の第2の柱となる「計数管理改革」では、まず、「鉄道赤字を3年で解消する」ことを取締役会で決議し、私自身、および役員全員の退路を断ちました。最続き

    2025年2月21日

    《連載》次代への戦訓、日本郵船元副社長・石田忠正氏⑦、日本最大がん専門病院の経営改革

     海運・空運での経営改革を経て、次なるステージとなったのが、110年以上前に渋沢栄一が設立に関わったがん研究会の経営再建でした。がん研は日本最古・最大、かつ最高の評価を得ているがん続き

    2025年2月20日

    《連載》次代への戦訓、日本郵船元副社長・石田忠正氏⑥、NCA自立化から黒字浮上へ

     日本郵船の後、就任した日本貨物航空(NCA)では、会社の自立化に向けて取り組みました。NCAは1978年に全日本空輸(ANA)と日本郵船など海運会社4社によって設立され、わが国唯続き

    2025年2月19日

    《連載》次代への戦訓、日本郵船元副社長・石田忠正氏⑤、総合物流への挑戦

     1990年代、2000年代はコンテナ化の進展に伴い、日本郵船が総合物流に本格的に取り組んだ時代であり、私個人としても当時、最も力を入れた分野でした。アジアの会長時代はシンガポール続き

    2025年2月18日

    《連載》次代への戦訓、日本郵船元副社長・石田忠正氏④、官民挙げてのハブ港湾戦略

     私は日本郵船の現役時代に港湾にも深く関わってきましたが、退任後は東京都港湾振興協会の会長として、東京港の発展に取り組んできました。日本港湾は長年にわたり地位低下が進んでいますが、続き

    2025年2月17日

    《連載》次代への戦訓、日本郵船元副社長・石田忠正氏③、多極化と権限移譲で組織活性化

     トリオグループの解体を経て、グランドアライアンスが発足したことで、日本郵船の社内体制も大きく変わりました。従来は欧州や北米、オセアニアなど航路ごとにアライアンスの船社メンバーが異続き

    2025年2月14日

    《連載》次代への戦訓、日本郵船元副社長・石田忠正氏②、トリオの解体と国際海運の激変

     本社労務課で全社の業務改革に取り組んだ後は、ミラノ駐在として地中海地域を担当し、驚きと学びの毎日でしたが、公私ともに生涯の思い出の地となりました。帰国後は名古屋支店の課長を経て、続き

    2025年2月13日

    《連載》次代への戦訓、日本郵船元副社長・石田忠正氏①、経営改革の鍵は人と組織風土

     日本郵船の副社長や日本貨物航空(NCA)の社長、がん研究会の理事長補佐、日本貨物鉄道(JR貨物)の会長など、要職を歴任してきた石田忠正氏。海陸空運を網羅した経営者は、国内はもちろ続き

    2024年7月19日

    《連載》次代への戦訓/飯野海運相談役・當舍裕己氏⑤、「意志あるところに道は開ける」

     日本は食料、原料、エネルギーなど貿易量の99%を海上輸送が担っている。われわれ海運会社は、ものを運びその対価として運賃・用船料をいただくが、金融経済とは異なり実体経済の活動をして続き

    2024年7月18日

    《連載》次代への戦訓、飯野海運相談役・當舍裕己氏④、「独立性」が飯野海運の幹

     変動が激しい海運ビジネスの舵取りをする上で経営者に求められることは何か。私は、守るべきところは守り、変えるべきところは変えることだと思う。守るべきところはそれぞれの組織にあり、そ続き

    2024年7月17日

    《連載》次代への戦訓/飯野海運相談役・當舍裕己氏③、会社運営は「世代間の戦い」

     私が社長任期中に実行した中期経営計画のテーマ「Be Unique and Innovative.」が示すように、ユニークで革新的であるためには会社を変えていかないといけないが、そ続き

    2024年7月16日

    《連載》次代への戦訓、飯野海運相談役・當舍裕己氏②、社長就任直後に冷や水

     リーマン・ショックの直前に海運業が大きく伸びたときに私はケミカル船部門の部長を務めていた。当社も御多分に漏れず、ケミカル船の大量発注に踏み切った。最初のうちは船価もまだ採算に合う続き

    2024年7月12日

    《連載》次代への戦訓/飯野海運相談役・當舍裕己氏①、守りと変革でユニークな企業に

     飯野海運の社長を2016年6月から23年3月までの約7年間務めた當舍裕己氏(現相談役)。社長任期中は海運市況の変動のみならず、コロナ禍という未曽有の危機や、脱炭素への動きの加速な続き

    2024年6月24日

    《連載》次代への戦訓、三光汽船・田端仁一社長⑥、厳しくも懐が深い荷主に感謝

     当社は会社更生法申請後、多くの日本の荷主の間では出入り禁止状態になったが、日本製鉄だけは当社が倒産した後もずっとお付き合いを続けてくださった。COA(数量輸送契約)を頂いたことも続き

    2024年6月21日

    《連載》次代への戦訓/三光汽船・田端仁一社長⑤、リーマン危機を期にシティ退職、破産村へ

     シティバンク時代は仕事上海運業界とかかわることが全くなかったので、すっかり疎遠になってしまった。海運業界に就職した商船大の同期とたまに飲みに行っていたが、仕事の話はほとんどしなか続き

    2024年6月20日

    《連載》次代への戦訓/三光汽船・田端仁一社長④、シティに転職、海運業界に別れ

     反田産業汽船を退職した当時(1987年3月)は全日本海員組合員を対象に年齢制限なしの早期退職を募集していて、同年6月30日まで在籍(7月1日以降の退職)していればそれなりの退職金続き

    2024年6月19日

    《連載》次代への戦訓/三光汽船・田端仁一社長③、神戸商船大から航海士へ

     私のキャリアは外航船員からスタートし、外資系銀行員、管財人、そして三光汽船の社長という経歴を歩んできた。このような経歴の持ち主はおそらく他にはいないと思うので、どうしてこのような続き

    2024年6月18日

    《連載》次代への戦訓/三光汽船・田端仁一社長②、船舶管理が重要

     三光汽船は1985年と2012年に会社更生法の適用を申請した。1回目は新造船の大量発注を行って失敗し、2回目は大量用船を行って失敗した。私から見てこれは投機的投資であり、その体質続き

    2024年6月17日

    《連載》次代への戦訓、三光汽船・田端仁一社長①、海運事業終了、会社更生から10年で幕

     不定期船オペレーターの三光汽船(東京都港区)は、今月中に一部役職員を除き大半の役職員が退職して海運事業を終了することになった。同社は2012年に会社更生法の適用を申請し、14年に続き

    2023年10月23日

    《連載》次代への戦訓/大洋電機会長・山田信三氏⑥、岐阜工場を整備、大型化に対応

     一昨年、念願の新工場が岐阜に完成した。  もともと、当社は岐阜県内に、岐阜工場(笠松)、可児工場、岐阜羽島工場を持っていたが、このうち主力の岐阜工場を移転して、新工場を建設した続き