2019年8月6日
― 2016年に経営企画グループ長に就任された際もこの「PROFILE」にご登場頂きました。経営企画でのお仕事はいかがでしたか。 「私が経営企画にいた14年から18年の間に当…続き
2019年7月24日
― 海運業界、日本郵船に就職したきっかけは。 「海外志向からです。商社やメーカーなども考えましたが、当時海運会社は海外に最低でも1回、場合によっては2、3回赴任できるという話…続き
2019年7月19日
― 日本郵船を志望した動機は。 「海外に対する憧れから、海外営業がある業種に関心がありました。日本郵船も意中の会社の1つで、最初にOB訪問をしたのも郵船でしたが、安易な学生で…続き
2019年7月18日
― 三井造船(現・三井E&Sホールディングス)でのご経験が長いですが、三井造船に入社された理由は。 「出身が岡山県玉野市なので、地元の三井造船は子供の頃から馴染みのある身近な…続き
2019年7月12日
― 日本郵船を志望した動機は。 「海外で生活したい、結果が目に見える仕事がしたいという漠然とした希望から海運に関心がありました。会社案内の事業内容をみて、特に不定期船に興味を…続き
2019年7月11日
― 日本郵船に入社されたきっかけは。 「大学時代ラグビー部に所属していて、そのコーチに応募を勧められたのがきっかけです。恥ずかしながら、当時は日本郵船って歴史の教科書に載って…続き
2019年7月9日
― 商船三井に入社されたきっかけは。 「就職活動の際に漠然と将来のことを考え、長い人生で一度くらいは海外での生活や仕事を経験したいと思いました。商社なども考えましたが、船会社…続き
2019年7月8日
― 商社を志望した理由は。 「就職活動当時の1989年は日経平均が年末に3万9000円近くまで上昇したバブル崩壊前の絶頂期で、皆1週間くらいで就職が決まっていました。外資系の…続き
2019年7月4日
― 商社に入社した理由は。 「高校時代に友人から薦められて読んだ『新西洋事情』(深田祐介著)に、アフリカで柔道を教えながら商売をしていた商社マンのエピソードが書かれていたのが…続き
2019年7月3日
― 旧日本興業銀行からキャリアをスタートされました。 「もともとはメーカー志望でしたが、興銀の行員の方々を見ていて、銀行員とは思えないスケールの大きさに、こういうところで色々…続き
2019年6月26日
― 海運業界に入られたきっかけは。 「大学在学中、祖父の葬儀で隣に座った祖父の弟がなんと“氷川丸”の元船長でした。そのお話がとても面白く、示唆に富んで…続き
2019年6月21日
― 海運業界に入られたきっかけは。 「昔から船が好きで、学生の頃に読んだ艦船専門誌で商船三井と合併する前のナビックスラインの広告を見つけて受けてみようと思ったのがきっかけです…続き
2019年6月18日
― 商社に入社した理由は。 「就職活動ではテレビ局や広告代理店などを主に受けていましたが、広告代理店の方に総合商社に勤める友人に会うことを勧められて紹介されたのが伊藤忠の食品…続き
2019年6月12日
― 海運業界、商船三井に就職した経緯は。 「私は1991年入社で世に言うバブル世代です。当時の就職活動は、自宅に届いた企業情報誌を見て関心を持った企業に葉書を出し資料請求する…続き
2019年6月10日
― 商船三井に入社したきっかけは。 「子どもの頃から飛行機や船など乗り物が好きで、それが高じて商船大学に入りました。船長の道を選んだきっかけは帆船日本丸の実習です。当時は航海…続き
2019年6月6日
― 海上勤務をはじめ、船舶管理や人事部などさまざまな部門を経験してきました。特に記憶に残っている出来事は。 「2006年に鹿島沖で発生した大型鉱石船の座礁事故です。当時は船舶…続き
2019年6月5日
― ドライバルク船二部長就任後の3年間の取り組みで印象的なことは。 「2016年の構造改革前の一番厳しい時期にドライバルク船二部長に就任しました。不定期船事業をいかに安定的に…続き
2019年6月3日
― これまでの業務歴で新規プロジェクト関係が多いのではないですか。 「偶然の巡り合わせでしょう。米国駐在で自動車船を担当していたときは大西洋航路でマーフィーによるRORO輸送…続き
2019年5月28日
― 海運界、商船三井に入社したきっかけは。 「大学生の頃、母がワンナイトクルーズに乗船し、船の楽しさについて話を聞いたことがありました。そんなある時、『国際社会における日本の…続き
2019年5月27日
― 海運業界、日本郵船に入社した経緯は。 「バブル期の昭和62年入社です。当時は金融や証券が人気で、大学の就職課長には『君はメディアに向いている』と言われましたが、基本的に天…続き
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