2020年7月22日
― 海陸でさまざまな業務を担当してこられました。 「陸上勤務についてお話しすると、2016年に海事人材グループ長になるまで、川崎汽船本社の名刺を持ったことがありませんでした。…続き
2020年7月16日
― 出身は。 「大阪府豊中市で生まれ育ち、大学卒業まで豊中に住んでいました。大阪大学を卒業して日本郵船に入社しました」 ― 入社の動機は。 「バブル前の80年代で、金…続き
2020年6月30日
― 日本郵船に入社した動機は。 「今の若い皆さんは信じられないと思いますが、私が入社した1986年は男女雇用機会均等法施行が施行されたまさにその年で、就職活動をしていた時は企…続き
2020年6月25日
― 前回2017年4月の燃料炭グループ長ご就任時に本コーナーに登場頂きました。 「ドライバルク部門に携わるのはこれが初めてでしたが、新しい挑戦ができて楽しく充実した3年間でし…続き
2020年6月15日
― 赴任地はシンガポールですね。 「はい。辞令は4月1日付でしたが新型コロナウイルスの影響で、シンガポールに入国できたのは5月28日でした。その後、14日隔離を経て、ようやく…続き
2020年6月3日
― 商船三井に入社した理由は。 「神戸出身なので港が身近で、海運に携わる人も多かったので憧れみたいなものが元々ありました。商船三井入社の決め手は祖母の一言です。『商船にしなさ…続き
2020年6月2日
― 4月に設置されたガス・海洋事業部長委嘱の執行役員に就任しました。 「ガス・海洋事業部の担当範囲はFSRUと、トルコのカラデニスグループと提携して進めるLNG発電船です。私…続き
2020年6月1日
― 4月1日付で執行役員に就任し、油送船部担当補佐を務めています。抱負を伺えますか。 「足元は、新型コロナウイルス/世界経済変調への対応について、しっかりと舵取りすることが最…続き
2020年5月29日
― 商船三井に就職したきっかけと、これまでのご経歴は。 「高校生まで兵庫県西宮市に住み、よく神戸に行くこともあり、外国の雰囲気には憧れがありました。そのため海外勤務を志望しま…続き
2020年4月23日
― 日本にいらっしゃったのは初めてですか。 「公職に就いてから日本を訪れるのは今回が初めてですね」 ― 以前は一般企業にお勤めだったのですか。 「以前はパナマ最大のテ…続き
2020年3月3日
― 6月にMOLケミカルタンカーの新社長に就任されますが、新社長としての抱負をお願いします。 「2017~19年度の3年間は市況が低迷し、最終損益では何とか黒字を確保できたも…続き
2020年2月27日
― 現在トップを務められているエネルギー領域の営業畑を中心にこれまで歩まれてきた。 「社内でも私=エネルギー事業と言われるのですが、必ずしもそうではないです。明確にエネルギー…続き
2020年2月17日
― 就職先に川崎重工業を選んだ理由は。 「私は神戸生まれ、神戸育ちなんですが、ずっとロボットがやりたくて、どこか良いメーカーがないかと思っていたらたまたま神戸にあるやないかと…続き
2020年1月23日
― 海運業界を志したきっかけは。 「幼い頃、父の仕事の関係で東京から高松に引っ越しました。その際に初めて瀬戸内海を渡る船に乗り、面白いなと思ったんです。さらに小学校の卒業生の…続き
2019年12月11日
― NKK(日本鋼管)のご出身ですね。ご入社の経緯は。 「生まれが広島県福山市で、出身地のNKK福山製鉄所(現JFEスチール西日本製鉄所)の勤務を希望して入社しました。恥ずか…続き
2019年12月10日
― 最初から海運業界、ではないのですね。 「大学の頃はヨット部で、それこそ勉強そっちのけでヨット中心の生活を送っていました。そのままマリン事業部門がある某大手メーカーに就職し…続き
2019年12月9日
― これまでのご経歴は。 「岡山県のとある造船会社の企業城下町で生まれ育ちました。父親が造船所の技術屋ということもあり、船には元々親しみがありました。公的な仕事がやりたいと思…続き
2019年12月6日
― ご出身は石川島播磨重工ですが、入社された理由は。 「出身が愛媛県で、父親がトロール船の船長をしていたこともあり、子どもの頃から海と船が身近にありました。造船所も自然と選ん…続き
2019年12月3日
― 造船所を志望した理由は何でしたか。 「生まれが尾道で父が漁師をしていたので、幼いころから海や船に慣れ親しんで育ちました。家の向かい側が造船所で、間近で進水式を見ることもで…続き
2019年11月28日
― 海運業界を志した背景は。 「高校時代に留学した経験もあり、海外に関係する仕事をしたいと思っていました。また学生時代、米国の大学が主催する“洋上大学&rdquo…続き
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