2019年12月10日
― 最初から海運業界、ではないのですね。 「大学の頃はヨット部で、それこそ勉強そっちのけでヨット中心の生活を送っていました。そのままマリン事業部門がある某大手メーカーに就職し…続き
2019年12月9日
― これまでのご経歴は。 「岡山県のとある造船会社の企業城下町で生まれ育ちました。父親が造船所の技術屋ということもあり、船には元々親しみがありました。公的な仕事がやりたいと思…続き
2019年12月6日
― ご出身は石川島播磨重工ですが、入社された理由は。 「出身が愛媛県で、父親がトロール船の船長をしていたこともあり、子どもの頃から海と船が身近にありました。造船所も自然と選ん…続き
2019年12月3日
― 造船所を志望した理由は何でしたか。 「生まれが尾道で父が漁師をしていたので、幼いころから海や船に慣れ親しんで育ちました。家の向かい側が造船所で、間近で進水式を見ることもで…続き
2019年11月28日
― 海運業界を志した背景は。 「高校時代に留学した経験もあり、海外に関係する仕事をしたいと思っていました。また学生時代、米国の大学が主催する“洋上大学&rdquo…続き
2019年11月19日
― 海運業界を志したきっかけは。 「海外で働きたいという願望があったので、就職活動では海運会社や商社などの企業を中心に回っていました。海運会社に興味を持ったのは、大学時代のこ…続き
2019年11月13日
― 海運業界を志したきっかけは。 「もともとは土木関係の現場仕事に憧れていました。サラリーマンとして家と会社の往復だけになってしまうのは嫌で、ダムや土手、山の中で高速道路を造…続き
2019年10月21日
― 商船三井、海運業界を志望した動機は。 「社会を支える縁の下の力持ち、というイメージで興味のあった重厚長大型産業を中心に、商社や金融なども含めいろいろな業界を考えましたが、…続き
2019年9月27日
― 入社後から船舶部ですか。 「いえ、最初の3年は外国為替部という、いわば金融部門に配属されました。当時の体育会系は本部でちゃんと勉強させなければいかん、という社の方針があっ…続き
2019年9月10日
― 銀行に就職したきっかけは。 「人の役に立ちたいという思いが昔からあり、それならば就職は銀行か公務員だと思っていました。銀行は、社会に貢献できるというイメージを持ちやすかっ…続き
2019年8月28日
― 大学では船舶工学を学ばれましたが、そのきっかけは。 「大学2年で専攻学科を決める進学振り分けがあり、そこで第一志望に落ちてしまったので船舶工学科に進んだというだけです。当…続き
2019年8月13日
■課長時代は福祉保健局で 大学時代は公共経済学を専攻。「公共的な仕事をしたい」と思い、東京都庁の門を叩いた。「東京都はスケールの大きい仕事ができて、働きやすい職場だと感じた…続き
2019年8月6日
― 2016年に経営企画グループ長に就任された際もこの「PROFILE」にご登場頂きました。経営企画でのお仕事はいかがでしたか。 「私が経営企画にいた14年から18年の間に当…続き
2019年7月24日
― 海運業界、日本郵船に就職したきっかけは。 「海外志向からです。商社やメーカーなども考えましたが、当時海運会社は海外に最低でも1回、場合によっては2、3回赴任できるという話…続き
2019年7月19日
― 日本郵船を志望した動機は。 「海外に対する憧れから、海外営業がある業種に関心がありました。日本郵船も意中の会社の1つで、最初にOB訪問をしたのも郵船でしたが、安易な学生で…続き
2019年7月18日
― 三井造船(現・三井E&Sホールディングス)でのご経験が長いですが、三井造船に入社された理由は。 「出身が岡山県玉野市なので、地元の三井造船は子供の頃から馴染みのある身近な…続き
2019年7月12日
― 日本郵船を志望した動機は。 「海外で生活したい、結果が目に見える仕事がしたいという漠然とした希望から海運に関心がありました。会社案内の事業内容をみて、特に不定期船に興味を…続き
2019年7月11日
― 日本郵船に入社されたきっかけは。 「大学時代ラグビー部に所属していて、そのコーチに応募を勧められたのがきっかけです。恥ずかしながら、当時は日本郵船って歴史の教科書に載って…続き
2019年7月9日
― 商船三井に入社されたきっかけは。 「就職活動の際に漠然と将来のことを考え、長い人生で一度くらいは海外での生活や仕事を経験したいと思いました。商社なども考えましたが、船会社…続き
2019年7月8日
― 商社を志望した理由は。 「就職活動当時の1989年は日経平均が年末に3万9000円近くまで上昇したバブル崩壊前の絶頂期で、皆1週間くらいで就職が決まっていました。外資系の…続き
大
中