2012年11月22日
―― 就任されて間もないが、まずはこれまで担当された業務について。 「入社以来、ほぼ一貫して海運、港運関係、特にターミナルでの港運・海貨業務、船舶代理店業務に携わってきました…続き
2012年8月29日
「元三菱商事副社長―」。民間人トップの起用が特例港湾運営会社への申請条件となる中、横浜港埠頭・高島正之新社長の経歴は特に業界の耳目を集めた。氏は筋金入りの商社マンだが、別に多彩な…続き
2012年7月31日
―― 今回は6月に乾汽船の取締役に新たに就任されたお二人にご登場いただきました。まずは海運界に入られたきっかけからお聞きします。 正田「31年前に商船三井に入社し、この業界に…続き
2012年6月20日
◆前身の郵船航空サービス(YAS)への入社のきっかけは意外にも「旅客」。当時のYASは旅客事業が中核で、採用活動も同事業を前面に押し出していた。“タダで海外に行ける!…続き
2012年4月17日
―― 横浜市を就職先とした理由を聞かせてください。 「横浜市には鉄道(市営地下鉄やシーサイドライン)の部門がありましたから、大学で学んだ電子制御の技術を生かした仕事をしてみた…続き
2012年2月22日
―― 現社長の鈴木宏氏からバトンを受け、次の社長に内定しました。 「現社長はまだまだ元気ですが、私が社長を引き継いだ後は、うまく役割分担をしていきたい。そのような体制づくりに…続き
2012年2月21日
―― 松村前社長から「次の社長に」と指名されたのは、いつごろだったのですか。 「昨年10月ごろでした。常務、専務と務めてきましたが、特にコースに乗っていたり、順番というわけで…続き
2012年2月13日
―― 商社を志望した理由は。 「大阪市立大学を卒業後、1984年に入社しました。当時は“商社の冬の時代”と呼ばれており、所属していた経済学部では銀行や…続き
2012年2月6日
―― 大学卒業後、日本船主協会に入ったきっかけは。 「就職活動は石油危機後に企業が極端に採用を絞った時期。就職先を探しているうちに、船協に親の知り合いがいたことでその存在を知…続き
2012年1月10日
―― 就職先としてなぜ船会社、商船三井を選んだのですか。 「国際的な仕事に就きたいと思い、就職活動は総合商社が中心でした。その際、商社勤務の先輩から海運会社も面白いと聞き、商…続き
2011年12月26日
―― 現職の前はずっと営業にいらしたとか。 「90年までの4年間は法務保険部にいましたが、その後はずっと営業部門で、LNG船、チップ船、ギアバルク(カナダ)への出向を経て、再…続き
2011年11月18日
―― 海運界に入った理由は。 「父が国鉄勤務だったのでもともと運輸にはかかわりがありました。たまたま大学で受けた海運論の授業で“海運”の存在を知り、海…続き
2011年11月15日
―― 造船所を志望したきっかけは。 「生まれは富山県で、県内の港に子供の頃からよく遊びに行っていました。当時は木材などを積んだロシアの外航船がたくさん寄港していて、将来は船に…続き
2011年11月7日
―― 2010年のベルゲン大会でCIMAC(国際燃焼機関会議、本部=フランクフルト)会長に就任されました。経緯は。 「2004年のCIMAC京都大会で論文担当副会長代行を務め…続き
2011年10月26日
―― 海運会社に入社されたきっかけは。 「大学時代に所属していたサッカー同好会の先輩に船会社の方がいたこともあって、4年生の時にOB訪問をしたことがきっかけになりました。周り…続き
2011年10月19日
―― 学生時代に力を入れていたことは。 「ごく平均的な大学生でしたが、とにかく本を読みました。3食を1食に切り詰めて、本代に充てたこともあります。学部は工学部でしたが、経済を…続き
2011年10月11日
―― 入社以来、ドライバルク部門一筋と伺っていますが。 「基本的にはそうです。鉄鋼原料が約10年、一般不定期が約10年、出向や海外駐在が約8年です。入社以来、“海…続き
2011年9月30日
―― 海運業界を志したきっかけは。 「海外との接点が持てる仕事がしたかった、というのが最大の動機です。どちらかと言えば少人数が良かったので、それなら海運会社かな、と。また兄が…続き
2011年9月15日
―― 大学で船舶工学科を選んだのは。 「神戸で生まれ育ちました。子どものころから遊覧船に乗ったりして、海や船には親しんでいて憧れがありました。大きなものを造ってみたいという気…続き
2011年8月29日
―― 海運業界を志した動機は。 「大学3年生だった1976年当時、4カ月ほどジャパンラインのイスタンブール代理店で、アイセックという交換留学制度でインターンシップを経験したの…続き
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