2012年1月10日
―― 就職先としてなぜ船会社、商船三井を選んだのですか。 「国際的な仕事に就きたいと思い、就職活動は総合商社が中心でした。その際、商社勤務の先輩から海運会社も面白いと聞き、商…続き
2011年12月26日
―― 現職の前はずっと営業にいらしたとか。 「90年までの4年間は法務保険部にいましたが、その後はずっと営業部門で、LNG船、チップ船、ギアバルク(カナダ)への出向を経て、再…続き
2011年11月18日
―― 海運界に入った理由は。 「父が国鉄勤務だったのでもともと運輸にはかかわりがありました。たまたま大学で受けた海運論の授業で“海運”の存在を知り、海…続き
2011年11月15日
―― 造船所を志望したきっかけは。 「生まれは富山県で、県内の港に子供の頃からよく遊びに行っていました。当時は木材などを積んだロシアの外航船がたくさん寄港していて、将来は船に…続き
2011年11月7日
―― 2010年のベルゲン大会でCIMAC(国際燃焼機関会議、本部=フランクフルト)会長に就任されました。経緯は。 「2004年のCIMAC京都大会で論文担当副会長代行を務め…続き
2011年10月26日
―― 海運会社に入社されたきっかけは。 「大学時代に所属していたサッカー同好会の先輩に船会社の方がいたこともあって、4年生の時にOB訪問をしたことがきっかけになりました。周り…続き
2011年10月19日
―― 学生時代に力を入れていたことは。 「ごく平均的な大学生でしたが、とにかく本を読みました。3食を1食に切り詰めて、本代に充てたこともあります。学部は工学部でしたが、経済を…続き
2011年10月11日
―― 入社以来、ドライバルク部門一筋と伺っていますが。 「基本的にはそうです。鉄鋼原料が約10年、一般不定期が約10年、出向や海外駐在が約8年です。入社以来、“海…続き
2011年9月30日
―― 海運業界を志したきっかけは。 「海外との接点が持てる仕事がしたかった、というのが最大の動機です。どちらかと言えば少人数が良かったので、それなら海運会社かな、と。また兄が…続き
2011年9月15日
―― 大学で船舶工学科を選んだのは。 「神戸で生まれ育ちました。子どものころから遊覧船に乗ったりして、海や船には親しんでいて憧れがありました。大きなものを造ってみたいという気…続き
2011年8月29日
―― 海運業界を志した動機は。 「大学3年生だった1976年当時、4カ月ほどジャパンラインのイスタンブール代理店で、アイセックという交換留学制度でインターンシップを経験したの…続き
2011年8月26日
―― 就任から2カ月が過ぎようとしている。 「運輸事業部長から就任したときは少なからず困惑した。不器用だが、自分らしく自然体でやりたい、と思っている」 ―― 前社長の小林…続き
2011年8月25日
―― 入社の経緯とこれまでの職歴は。 「就職するのは、目立たないけど、どっしりとした縁の下の力持ちのような業界がいいなと思っていて、海運はそのイメージに合っていました。海外で…続き
2011年8月10日
―― 入社の動機は。 「大学卒業までずっと神戸に住んでいましたが、当時、神戸にはKラインのファンネルが付いた社宅がたくさんあり、薄々興味を持っていました。貿易関係に興味を持つ…続き
2011年8月8日
―― 入省後は港湾関係が多いようですね。 「これまでの職歴を振り返ると、港湾局関連がメーンですね。港湾局以外では、国土庁に2回出向し、1991年には英国に留学する機会にも恵ま…続き
2011年8月5日
―― 出身と少年時代は。 「京都の八幡市の生まれです。日本3大八幡宮の石清水八幡宮の町です。木津川には水泳場がありましたが、今は雑草だらけで様変わりしてます。子どものころは外…続き
2011年8月2日
―― 就職活動で海運会社を志望した理由は。 「国際的な仕事に興味がありました。商社も考えましたが、海運なら社員数が少ないので、大きな仕事を任せてもらえる期待もありました。私は…続き
2011年7月28日
―― 船社に入ったきっかけは。 「学生時代、友人が日本は海に囲まれているが船舶工学科の卒業生の数は少ないので希少価値がある、面白い活躍の場があるのではないかと話してくれたこと…続き
2011年7月27日
―― なぜ郵船を選んだのですか。 「中高生のころに北杜夫の童話『船乗りクプクプの冒険』を笑いながら読みました。主人公の子供が本を読んでいるうちにその中に入ってしまい、船乗りに…続き
2011年7月26日
―― 海運会社に入社した経緯は。 「当時は海外への憧れを持つ時代でした。海外に行ける仕事というと商社のイメージが強かったのですが、たまたま大学で受講した貿易英語という講義が、…続き
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