2010年5月10日
―― 学生時代はどのように過ごしておられたのですか。 「特にこれと言って打ち込んだものもなく、また大学の授業にも熱心に参加していたとは言い難く、マージャンとパチンコに明け暮れ…続き
2010年5月7日
―― 海運会社に就職したきっかけは。 「関門海峡に面した北九州市小倉に生まれ、海峡を行き来する船を見て育ちました。また、神戸港にほど近い西宮で学生時代を送りましたので、海運か…続き
2010年4月26日
―― 海運会社に入社したきっかけは。 「東京外国語大学在学中に米国のワシントンDCへ1年間留学した関係で、卒業までの1年間フリーになったんです。その時に、たまたまアルバイトし…続き
2010年4月12日
―― 定期船、不定期船、物流、法務などかなり幅広い部門をご担当されてきましたね。 「今ではちょっと珍しいかもしれませんね。昔は典型的なジョブローテーションで異動していましたが…続き
2010年2月24日
― 78年から自動車船の世界に 1972年に大阪商船三井船舶(現・商船三井)に入社し、海運マンとしてのキャリアをスタートさせた。「神戸育ちなので海、船には馴染みがあったが、初めは…続き
2010年1月21日
●船屋か土建屋か 海運業界が好況を謳歌していた1974年。当時、就職活動中だった氏が海運マンの道を志した動機は「“日本郵船好調、ボーナス×カ月満額回答&rd…続き
2009年11月19日
●スキーに熱中 小学校時代は野球部、中学では軟式テニス部、高校は落語研究会に在籍したが、大学入学時に競技スキーを極めたいと一念発起し、準体育会系のスキーサークルに所属。練習のための…続き
2009年10月9日
●海へのあこがれ 大学を卒業するまで、四方を山で囲まれた京都の盆地で育ち、海に行くのは、夏休みの海水浴くらい。海運会社を志望した動機の中に「海と海外への憧れみたいなものがあったのか…続き
2009年8月21日
●港湾は初めて 入庁後は総務や財務、教育関係が中心で、「港湾関係の仕事は初めて」という。「港湾は外で見ていた時とだいぶ印象が異なる」というのが最初の感想。「現場を回り、港湾施設を見…続き
2009年7月30日
●縁深いシアトル 高校1年の時、交換留学生として初めて米国を訪れた。このときはシアトルから少し離れた、ワシントン州南東部に位置するワラワラ市に滞在。高校生だった70年代初め、ワラワ…続き
2009年7月16日
●商船大を選択 大学は船員を養成する商船大学を選択した。自身の進路を決めるにあたり、「何となくなのですが、普通のサラリーマンにはなりたくないな、という思いが心のどこかにありました。…続き
2009年6月18日
●韓国の大学で貿易専攻 韓国の大学で貿易を専攻した。「物をどう動かすか=物流」に興味がわき、自然と国際物流に目が向くようになったという。「特に、日本企業がなぜ海外に進出し、なぜすぐ…続き
2009年5月28日
●ドイツ語をマスター 大学で就職活動を行っていた90年代前半は就職氷河期。卒業後2~3年間は英語以外の何かを身につけるために費やそうと決意した。そこで、在学中に勉強していたドイツ語…続き
2009年4月9日
●まずは体力強化 厳しい経済状況下で社長に就任したことについて「光栄だが、心配もある」。海運業界だけでなく、どの産業も大変な状況だが、このような時でも「現代商船を日本一の船社にした…続き
2009年3月23日
●海上勤務で五大湖航路へ 船会社に入社後、海上勤務を経験。最後の航海は在来船により、セントローレンス川をさかのぼり、モントリオール、トロント、クリーブランド、デトロイト、ミルウォー…続き
2009年2月25日
●舌の根も乾かぬうちに 「“疾風に勁草を知る”。つまり困難なときこそ人の真価が分かる」。今年、社内の年始あいさつでそう話し、「厳しい経営環境に一人ひとりが強い意志で立ち向かおう」と…続き
2009年2月13日
●集荷と経営 「長らく海運業を離れていたが、感覚はすぐに戻った」。山下新日本汽船、日本ライナーシステム、日本郵船の3社で、ほぼ一貫して定期船畑を歩き、30年近くに及ぶ定航営業の経験…続き
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