2011年7月7日
―― 4月に中国総代表になりました。中国での生活はどうですか。 「中国の活気は想像以上でした。中国人は自信にあふれています。物価も上がっていますが、給料もどんどん上がる。バブ…続き
2011年6月30日
―― 海上職での入社ですが、船員を目指したきっかけは。 「紀行番組の『兼高かおる世界の旅』をよく見ていて、海外に行ってみたい、どうやったら行けるのかと考え、船乗りの道を選んで…続き
2011年6月27日
―― 海運会社を選んだきっかけは。 「当時の入社試験は今のような難しい筆記試験はなく、面接試験が主でした。面接官の機嫌が良かったのか、日本郵船に拾ってもらいました。当時はウィ…続き
2011年6月24日
―― 入社の動機は。 「学生時代にバスケットボールの練習試合を日本無線と行い、その当時の監督であった人事部長さんに入社のお誘いを受けたのがきっかけです」 ―― 希望した仕…続き
2011年6月22日
―― 海運業界を志望された理由は。 「司法試験の勉強をしていましたが、試験に受かりませんでした。法曹界に進まないのであれば、海外で仕事をしたかったので、海外に赴任する確率が高…続き
2011年6月20日
―― 学生時代、夢中だったことは。 「昔から地理が好きで、それも相まって旅行によく行きました。車で、そして電車で、全国47都道府県は当然、全て足を運びましたし、一番西の与那国…続き
2011年6月13日
―― 東京商船大機関科のご出身ですが、IHI入社のきっかけは。 「私の卒業当時は、海運会社が船員採用を控えていた時代です。船に乗れなければ造船所か舶用メーカー、という人は周り…続き
2011年6月6日
―― 海運業界を志したきっかけは。 「父が商社に勤めていて、貿易関係の仕事をしていたことが大きかったと思います。海外で働いてみたい、と思うようになり、自然と就職先は商社か海運…続き
2011年5月30日
―― 入社当時のことから。 「横浜と神戸、門司に会社がありましたが、最初は門司に配属されました。正直、最初は船相手の商売ということをしっかり理解していない部分もあり、仕事が分…続き
2011年5月23日
―― 就職先に海運会社を選んだきっかけは何ですか。 「生まれ育った田舎の地形が山からすぐに海といった感じだったので、農業をする土地に恵まれていなかったのです。ですから地元では…続き
2011年5月16日
―― 入社されてからの経歴は。 「私は1982年入社ですが、最初の10年は主にライナーで、その後の16年は主に自動車船を担当しました。同じ分野にこれだけ長くいたというのは、当…続き
2011年5月9日
―― 就職先に海運会社を選んだ理由は何ですか。 「特別な理由はありませんでした。私は田舎出身で地方の大学に通っていたこともあり、何となくですが、英語ができて、英語を使う仕事に…続き
2011年4月28日
―― 海技研に至るご経歴は。 「東京大学大学院を修了したのが1972年です。日本海事協会の上田徳会長と同期です。その後、2003年まで広島大学で働き、その後8年間は広島工業大…続き
2011年4月25日
―― まずは海運業界に入ったきっかけからお願いします。 「やはり海外で働く機会が多いだろう、というのが最大の動機ですね。父が船好きで、昔はハワイ航路の客船に乗船したことがあっ…続き
2011年3月28日
―― 興亜海運の理事から2月、日本総代理店である三栄海運の副社長に就任されました。日本への赴任は初めてですか。 「1999年9月から2003年2月まで興亜海運の東京事務所長を…続き
2011年3月7日
―― 出身は。 「ドイツのドルトムントです。サッカー日本代表の香川真司が今活躍しているところです。そこで高校に通い、兵役義務も果たしました」 ―― 海運業界へ入ったきっか…続き
2011年2月28日
―― 造船所への入社の動機は。 「単純な理由で少し恥ずかしいのですが、石油ショック後の就職先候補に最後に残っていたのが造船所だったのです。陸上のボイラータービンを希望しました…続き
2011年2月14日
―― 海運業界を志望された理由は。 「あまり明確な理由はないんですよ。昔から考えても答えが出ないことは、考えないようにしています。就職活動でその業界や会社の20年後を考えても…続き
2011年2月7日
―― 広島県・呉の出身。海、船は身近だったのでは。 「祖父が海軍工廠で戦艦大和を造る仕事をしていたし、父は海軍。山の斜面と海に囲まれた平地の少ない町で、山の上にあった家からい…続き
2011年1月31日
―― 日産専用船から海運業界のキャリアをスタートされましたが、この業界を選んだのは。 「日本は島国なので、海運は絶対になくならないだろうと(笑)。また、車への憧れがとても強く…続き
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