2025年5月12日無料公開記事海事都市今治

記者座談会/造船この1カ月<上>
今治市20年、造船業の存在感高まる
人材・技術で試される連携

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 今治市が市町村合併により「海事都市」となってから今年で20年。今治市の造船業も大きく変化した。好況と不況を経て、地域内の造船業の連携も強まり、集約効果が表れるようになってきた。造船業の人材確保、育成や新技術の導入などで転換点に、“地域の総力戦”が試される。


市内での造船の認知度高まる

 司会 海事展「バリシップ2025」まで、いよいよあと1週間余り。今年は今治市の市町村合併からちょうど20年という節目の年でもある。海運の担当記者たちが「海事都市・今治」の船主業について語ったが、今回は造船業をテーマに語ろう。

 ― 本紙でも今治市の合併20周年企画を組んだ関係で、改めてわれわれ担当記者が現地を回って取材した。造船所を訪れて、さまざまな話を聞いたね。記事にならなかった“こぼれ話”も含めて、印象的だった。

 ― 2005年の市町村合併によって、今治市は「海事産業が集積する都市」という姿を明確にしたが、商社関係者などに世界の海事都市との違いを聞くと、必ず挙がるのが造船業の存在だ。アテネやロンドン、オスロ、コペンハーゲンには造船所がない。シンガポールは造船所があるが、今治市ほどの商船の新造供給能力は持っていない。

 ― たしかに、船主や金融、ブローカー、港湾といった機能が揃った海事都市は世界にいくつもあるけれど、“船を建造できる海事都市”は珍しい。今治市には、海事関連のあらゆる機能がそろっており、ここにビジネスを持ち込めば完結できるようになっている。

 ― 造船所の顔ぶれも特徴的だ。外航船をグループで大量建造している今治造船と新来島どっくが筆頭だが、波止浜湾には近海船を手がける檜垣造船やケミカル船の浅川造船、内航船の矢野造船があり、伯方島には伯方造船と村上秀造船、大島には内航船大手の山中造船、大三島にはフェリーの藤原造船所もある。本当に幅広いし、いずれも非上場で、地元の船主と強く結びついた“専業造船所”という点も今治ならではだ。

 ― ただ、かつては市民の間でも「造船の町」という認識は薄かったと聞いた。駅前に「ようこそ、タオルと造船の町 今治へ」という看板が昔からあるけれど…。

 ― 市町村合併以前は、高速道路の今治北IC付近にある「なれあい坂」が、旧今治市と波止浜・波方の境界だったそうだが、ある造船会社の社長は「造船業に携わっていない市内の人が、ここを越えて波止浜や波方に来ることは滅多になく、造船の存在すら知らない人が多かった」と話していた。

 ― 波止浜や波方では、子どものころから海運や造船に関わる家の子供がどのクラスにもいたとも聞いたが、旧今治市内では、造船業自体がそれほど知られていなかった。そう考えると、20年での意識の変化は大きい。

 ― その変化の端緒が「海事都市・今治」構想だったし、何よりも2009年にスタートしたバリシップの存在が大きいね。

 ― 今治市民の約30人に1人が造船業に関わっているという。ある造船所の人が言っていたけれど、「接客業や病院などに勤めている人は、毎日誰かしら造船所関係者に会っている計算だ」と。それほど身近な存在になっている。


日本最大の造船の町に

 司会 20年前に比べて今治市の海事産業の規模は大きくなった。特に最も大きく伸びたのが船主で、船隊規模が2~3倍になった。造船も同様と思うが。

 ― 今治市に本拠を置く造船所とグループ工場の新造船竣工量は、2004年時点でおよそ120隻・370万総トンだった。それが造船ブームで2010年には約170隻・580万総トンにまで増えたから、かなりの伸びだ。この時期は本当に勢いがあった。

 ― だが、竣工量だけを見ると、右肩上がりというわけではない。2010年以降はやはり世界的な造船不況の影響を避けられなかった。

 ― とはいえ、量が減っても「シェア」という視点で見ると、今治市の存在感はむしろ増している。2022年には国内シェアがついに50%近くにまで達した。しかも世界でのシェアを見ると10%前後をキープしている。巨大な中国造船所が続々と誕生して世界全体の供給能力が膨らむなかでも、今治市の造船業は食らいついている、

 ― 国内ではこの10年間で新造船から撤退した造船所が多いが、今治市の各社はなんとか事業を維持・拡大してきた。M&Aで他地域の造船所を傘下に収める動きもあったし、事業基盤をむしろ広げた印象がある

 ― 商社がよく、今治の船主は不況でもほとんど撤退していないという点を指摘するが、これは造船所も同じだ。

 ― 不況期にも、市内のクラスターを構成する海事関連企業が、痛みを分かち合いながら乗り越えてきたという話はよく聞く。普通なら共倒れになりかねない局面でも、地域として踏ん張れる構造があったのは大きい。

 ― 今治市の造船業の特徴としてよく挙げられるのが、積極的な設備投資と、地元の船主や舶用メーカーとの強いつながりだ。各社が“家業”として経営していて、社長同士が顔見知り、あるいは同級生という関係も珍しくない。そうした地縁が、今治特有の「クラスター効果」を生んでいる。

横のつながりが強まった

 ― 20年前の市町村合併の頃、「海事都市・今治」と言われてもピンと来なかったという造船経営者の話を耳にしたことがある。

 ― 僕も、それは何度か聞いたね。

 ― 当時は、具体的にどんなメリットがあるのか、あまり見えていなかった。それに造船所同士の競合意識も強かった。波止浜湾内など、近場の造船所の現場レベルでは横のつながりがあっても、会社間の連携はほとんどなかった。市町村が一緒になっても、「何か一緒に取り組もう」という雰囲気にはなっていなかったのではないか。

 ― でも、その造船会社同士の関係性は、ずいぶん変わったと思う。

 ― うん。その転機になったのが、2005年に始まった造船技術センターの取り組みだと聞いている。人材育成という共通課題に取り組む中で、造船会社と舶用メーカーが連携する体制ができた。それに加えて、バリシップの開催も、造船所同士の距離を縮める大きな要因になった。対外的な発信の場ができたことで、地元企業の協調意識が高まった。

 ― 新しい今治市になって行政との距離も近くなった、とも聞いた。例えば、設備拡張のための埋立工事などの許認可についても、以前は難しかったが、今治市という大きな自治体の枠組みのなかで、行政が積極的に動くようになったのは大きな変化だと。

 ― 今治市の造船業界として官民でもまとまりが出てきたということだね。一方で、一体化するとそれだけ、人手が大手に偏ってしまうとの声もあった。

 ― 僕は、むしろ逆の効果も出ているという話を聞いたよ。例えば、造船所から別の造船所や協力会社に人が移ることで、地域全体の人材が底上げされているという。また島にある造船所では、「今治市」という広域自治体になったことで、島外の旧今治市内からの就職者が増えたという。

 ― そういった意味での“一体感”が出てきたわけか。

 ― 仕事や人手を融通し合う場面も増えてきたようだ。こういう地域内のネットワークが強化されれば、今治市の造船クラスターとしての本当の強さにもつながっていく。

 ― 人材育成も、地域で連携しやすい分野だ。今治工業高校に機械造船学科が設置されたが、愛媛大学の今治サテライトキャンパス構想もいよいよ具体化してきた。

 ― ただ、やはり最大の課題は人材。今治市内も人口が減る中でどのように人手を確保していくかだ。ここは町ぐるみでの対応になるようだ。

 ― もう一つの重要課題が、技術力。この分野の強化にも、やはり地域の連携が欠かせない。海事都市が先端技術の実験場として機能している例は、シンガポールやオスロにもある。

 ― 今治市がこれからどう進化するかも注目だね。“地域の総力戦”が、いよいよ次のステージで試されることになる。
(造船、つづく)