2022年7月20日無料公開記事次代への戦訓 内航NEXT

《連載》次代への戦訓
全海運でオペ・オーナーの視点学ぶ
日本内航海運組合総連合会前会長 小比加恒久氏②

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 私が海運組合の活動に関わるようになったのは、東都海運の社長に就任した1997年に全国内航輸送海運組合(内航輸送)の理事になったのが最初だ。その後、2001年に関東沿海海運組合の理事長と全国海運組合連合会(全海運)の副会長、日本内航海運組合総連合会(内航総連)の理事になった。関東沿海は全海運の下部組織なので、関東沿海の理事長になると自動的に全海運の副会長、内航総連の理事にもなるからだ。私は在京オペレーターだったことから全海運で総務委員長などのさまざまな役目をやらせて頂いた。
 組合活動を通じてさまざまな方々とお付き合いできたことは、良い経験になった。それまでは自らの生業であるオペレーターの考え方しか持っていなかったが、全海運の活動を通じてオーナーの問題も耳にするようになった。全海運は会員数が約1500社と内航海運組合の中で最大で、オペレーターとオーナーの両方が加盟しているという幅広いベースを持った組合なので、そこで築いた関係と知識が後に内航総連の会長になった際に非常に役に立った。国土交通省海事局内航課とも頻繁にコミュニケーションを取り、いろいろな面で助けて頂いた。
 全海運の副会長と会長を経験して、それまでの考え方が徐々に変わっていった。一方で内航輸送の理事会にも引き続き出席して両方の意見を聞く機会を得られたことで、考え方が凝り固まらずに済んだと思う。
 私は全海運の理事たちが理事会での議論を100%理解しているのかどうかが疑問だった。私の場合は内航輸送、関東沿海、全海運の各理事会、内航総連の政策委員会と理事会で同じ資料を5回も読むから理解できるが、いきなり資料を渡されて一回の説明で理解しろというのはそもそも無理な話だからだ。そこで私は会議の資料を事前に出す形にし、特に重要な問題については事前に理事の皆さんの意見を聞くことに努めた。小さな改善だが、そういったことに地道に取り組んだ。
 2007年に全海運の会長に就任するのと同時に内航総連の副会長になり、15年に内航総連の会長に就任した。当時は激動の時代で、内航海運暫定措置事業の終了の仕方について、組合内や国交省とさまざまな議論を行った。振り返ると、暫定措置事業が始まったのは1998年で、ちょうど私が内航輸送の理事になったばかりの時だった。当時の内航輸送の会長の原田さんから暫定措置事業に関する説明を聞いたが、それまで理事会には先代社長の父が出ていたため、正直初めのうちはあまりよく分からなかった。
 暫定措置事業が始まってから関東沿海や全海運、内航総連の活動に関わるようになり、内航総連では交付金認定委員会、建造認定委員会のそれぞれ委員長を務めた。交付金認定委員会の委員長を務めたのは交付金が足りない時で、年度末までの支払い延期をお願いしたら地銀から説明に来いと言われ、事務局と私と経理部長でよく地方に説明に行ったことを思い出す。また、交付金認定委員会の委員長の時には国交省と話し合って16年超の船を買い上げてもらう機会をつくって頂き、そのために100億円の予算を確保して頂いたのだが、中小企業金融円滑化法(通称モラトリアム法)の施行によって結果的に二十数億円しか申請が出ず、せっかく100億円の予算を確保して頂いたのに申し訳なかった。建造認定委員会では積みトンの正常化に取り組み、それによって四十数億円を捻出することができた。
 このような業界活動を続けてこれたのも、内航総連、全海運、関東沿海などの事務局の方々にしっかりとサポートして頂いたからだと思う。私個人の力では続かなかっただろう。この場をお借りして事務局の方々に御礼を申し上げたい。

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