2021年11月1日無料公開記事内航NEXT

脱炭素時代に先駆けた水素燃料フェリー

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〝ハイドロびんご” ツネイシクラフト&ファシリティーズ/ジャパンハイドロ

脱炭素時代の切り札として、将来の船舶燃料候補と有望視されている水素。世界に先駆けて、この水素を燃料とするフェリーが日本で誕生した。水素軽油混焼エンジンを搭載する19総トン型アルミ合金製旅客船〝ハイドロびんご(Hydro BINGO)”は、旅客の搭乗を目的とした世界初の水素燃料旅客船だ。(深澤義仁、対馬和弘)

■16年から水素燃料に挑戦


 昨年来、世界は脱炭素時代に向けて急加速し、クリーンエネルギーとして水素への注目がこれまで以上に高まっている。船舶の世界でも、水素を燃料として活用しようと研究開発などが始まった。この水素燃料の可能性に早くから着目していたのが、ベルギーの海運大手CMB(本社=アントワープ、アレクサンダー・サベリスCEO)だった。
 ドライバルク部門ボシマールのほか、ケミカル船、フィーダーコンテナ船などの外航海運事業を展開しているCMBは、2016年ごろから水素燃料船の実現に向けて本格的な取り組みを進めていた。しかも、多くの企業が研究を進める水素燃料電池ではなく、水素を燃料とする内燃機関に焦点をあててきた。17年には、水素燃料の実証船“Hydroville”を建造。19年には、水素燃料船の商業化第一号として、欧州の洋上風力発電施設向けのクルー輸送船(CTV)への導入も決めた。
 この間、水素燃料に関する技術体制も整備してきた。18年にディーゼルエンジン製造会社アングロ・ベルギー(ABC)との合弁会社BeHydroを通じて、水素を燃料とする水素軽油混焼中速エンジンを開発した。さらに19年には、実証船“Hydroville”の内燃機関開発も手掛けた、水素エンジンの技術を持つ英国のリボルブ・テクノロジーを買収し、「CMBリボルブ・テクノロジーズ」としてグループ傘下に収めた。
 今年の4月、技術部門を事業会社「CMBテック」として独立させ、その下にCMBリボルブ・テクノロジーズや、昨年買収したCTV運航大手ウインドキャット・ワークポーツなどの環境関連の事業会社を置いている。
 

CMBの水素燃料実証船“Hydroville”は16人乗りの小型ボート

水素燃料のCTVも計画

■日本で水素船実現する


 水素への取り組みの中で、CMBが着目したのが日本だった。日本は2017年に世界で初めて水素基本戦略を策定し、早くから水素社会の実現を国の目標として掲げていた。水素燃料船の可能性を探るうえで、日本は最適な国だった。
 日本法人の「CMBジャパン」(青沼裕代表)は2018年から、水素燃料船の実現に向けて日本の関係者と協議を開始。そこで出会ったのが、常石グループでアルミ合金製の旅客船などの建造を手掛けるツネイシクラフト&ファシリティーズ(神原潤社長、TFC)だった。
 TFCは、2012年に日本初となる電気推進船を開発した当時から一貫して、環境負荷低減への可能性を追求してきた造船所だ。バッテリーを動力とする小型遊覧船として〝あまのかわ”(12年)、〝vibes one”(14年)、〝fugan”(15年)、〝kansui”(19年)を次々と建造して日本の中で独自の存在感を持つ。これまではバッテリーによる電気推進を軸にゼロエミッション船に取り組んできたが、従来の鉛蓄電池やリチウムイオンバッテリーでは、高負荷が求められる船舶での活用には限界があり、速度・運航時間の観点からも旅客船での運用が難しい面があると悩んでいた。代替手段を模索する中で、実は、水素の可能性にも早くから着目し、水素燃料電池船の検討も重ねていたという。そんな中で、CMBグループの水素軽油混焼エンジンは、水素社会に向けた現実的なアプローチと評価した。
 19年、CMBとTFCは、世界初の水素燃料フェリーの実用化を目指すことで合意。開発主体となる合弁会社「備後研究所」を共同で設立し、両者で協力して建造を具体化することになった。
 

CMBのサベリスCEO(左)とTFCの神原社長が合意した

■軽油との混焼


 プロジェクトが結実し、今年7月12日、TFCの浦崎クラフト工場で〝ハイドロびんご”は竣工した。
 本船の最大の特徴は、水素を燃料とする内燃機関だ。スウェーデンのエンジンメーカー、ボルボ・ペンタがOEM製造した水素・軽油混焼エンジン「HyPenta D13-1000」が、本船には2基装備されている。連続最大出力は1基あたり441kW(600PS)だ。
 水素燃料エンジンのベースになっているのは、既製のコモンレール式ディーゼルエンジン「Volvo Penta D13」だ。軽油などを燃料として使用するこのエンジンに、CMBテックが持つ、水素を高効率で混焼する技術を応用し、水素焚きとして開発した。年間約8万基を出荷するベストセラーエンジンをベースエンジンとして採用していることから信頼性は高く、OEM品としてメーカー保守サービスが適用されることもメリットだ。
 CMBテックが開発した制御システムにより、回転数と出力等に応じて最適な軽油と水素の混焼比率を自動で調整する。エンジンの実質混焼率は0~70%で、本船では営業運航時に30~50%を予定している。これにより、従来のディーゼルエンジンと比較して、最大50%のCO2排出削減を実現した。
 水素と軽油の混焼エンジンなので、水素が供給できない海域を航行する際は、軽油専焼で航走できる。仮に燃料の水素がなくなったり、水素システムに不具合が生じても運航が可能となる冗長性がメリットだ。
 また水素インジェクション・システムなどは、TFCとCMBが共同で開発した。

水素軽油混焼エンジン「HyPenta D13」

■可動式燃料タンクを交換


 新燃料の船舶導入時に大きな課題となるのが、燃料供給(バンカリング)体制だ。新しい燃料を船舶に供給するため、専用の燃料供給船や陸上設備など、供給インフラの整備が必要となる。船だけでは済まない大きなプロジェクトになる。その点で、〝ハイドロびんご”は燃料となる水素供給で、ユニークなアプローチをとっている。
 後部デッキに、「H2」と表示された四角い箱がある。これが燃料となる水素の貯蔵タンクだ。内部には、圧縮水素ボンベを30本束ねた「水素カードル」が収められている。軽油の燃料タンクは別に船内に設けてあり、水素と軽油は別のラインを通じてエンジンへ供給され、混焼する仕様になっている。
 この水素用タンクは可搬式のトレーラーになっているのが特徴だ。空のトレーラーを牽引して車道を走行し、陸上の工場で水素を充てんした後、再び車道を走行して運搬し、そのまま本船へ積込む。つまり、燃料供給はタンクごと交換して行う、というコンセプトだ。この方式により、水素を充填するための専用設備を岸壁に設置する必要がなく、水素を供給するための輸送・設置が容易になる。
 タンクの水素積載量は約100kg。また車両総重量は3500kg以下で、高圧ガス保安法や道路運送車両法に適合している。

可動式の水素貯蔵タンクごと交換する

水素タンクを搭載できるよう双胴船型にした

■双胴型を採用


 船型を見てみよう。後部デッキ上に水素タンクトレーラーの搭載スペースを確保するため、本船は双胴船型(カタマラン)を採用している。船体は、軽量なアルミ合金製だ。
 船内は旅客用デッキが2層設けられている。1階は前方部が閉囲式の客室。座席数は21席で、左右に大型の窓を設けており、運航中に眺望を楽しめる。また前方の壁にはディスプレーが設置されており、航行中に水素の混焼などをモニターできる。
 1階後方部はオープンスペースになっており、多目的トイレが設置されているほか、ベンチが置かれている。なお1階はバリアフリー化されている。
 船内後部から階段を上がると、2階はオープンデッキ。中央にベンチを設けており、海風を感じながら旅客は船の旅を楽しめる。
 操舵室は1階最前部。航海機器や主機操作ハンドルなどがコンパクトにまとめられている。ちなみに、水素燃料船とはいえ、船員に特別な資格は必要ない。 

1階前方部の客席スペース

1階後方部はオープンスペース

■安全面で専門家知見反映


 日本で初めて建造される水素燃料船ということで、安全性を確保するため設計・建造時には入念な対策が取られた。
 設計は、IGFコードの機能要件と水素燃料の特殊性を踏まえて作成された「水素燃料電池船の安全ガイドライン」に則って進めた。さらに安全を担保するため、外部研究機関の協力を得て「リスク評価委員会」を開催。専門家の知見を設計に反映し、安全性を確保するための施策を討議しながら各種設備を設置した。また承認機関とも協議しながら設計作業を進めた。この間に、一般配置図は30回以上は書き替えたという。
 実際に建造が始まると、新型コロナウィルス感染拡大が直撃した。渡航制限により、CMBテックのサービスエンジニアが来日できない中での作業とならざるを得なかった。TFCの現場では初めて見る資機材も多く、設置にあたってはリモートでCMBテックからのサポートを受けながら、作業を進めたという。欧州とは時差もあるため思うような進捗も得られず、さらに、大幅な後戻りもあったが、設計と現場が一体となって構築作業を進めた。設計開始から建造終了まで約2年を要したが、最終的には日本小型船舶検査機構(JCI)の検査に合格した。

階段を上がるとオープンデッキ

効率よく配置されている操舵室

■日本で水素普及図る


 本船の成果を踏まえて、CMBと常石グループは提携をさらに深度化して日本国内での水素燃料の取り組みを加速する。
 まず、“ハイドロびんご”の開発目的で設立した合弁会社の備後研究所に、CMBと神原汽船が追加増資を行い、3社合弁の「ジャパンハイドロ」(神原宏達代表取締役、青沼裕社長執行役員)と改めた。“ハイドロびんご”は、このジャパンハイドロが保有し、様々な用船者にその都度貸船する運航形態をとる。水素燃料は用船者が調達する。
 また今後は、ジャパンハイドロが、水素燃料エンジンの国内販売などの事業を展開することにした。早速9月には、水素燃料タグボートを2023年を目途に常石造船で建造する方針を決定した。“ハイドロびんご”の建造で得たノウハウを活用し、高出力が必要とされるタグボートへの大型水素エンジンの搭載と運航実現に挑む。さらに同社は中期ビジョンとして、内航ゼロエミッション船の開発・実証運航の向こう5年間での実現に向けて、関係各方面との協業を含めた具体的な実行計画策定に着手した。 
 CMBジャパンの青沼代表は同社の水素エンジンのソリューションについて「技術的にも経済的にも実際に使えるものをご提供できるのが最大の特徴。潜在的に水素が供給できる場所であれば現実的なご提案ができるので、ぜひ先入観をもたずに検討して頂きたい」と語る。日本での同事業の今後の展開について、「タグボートと内航船のプロジェクト以外にも、ジャパンハイドロとして各地で立ち上がっているカーボンニュートラルポートの検討会にも参加させて頂いており、ここでも貢献していきたい」と語ったほか、「水素燃料は船舶に対する適合性が高いが、船舶以外の用途が劣後するかというとそのようなことはなく、建設機械など様々な用途を見込んでいる。日本には様々な分野で強いメーカーがあるので、そういった方々とパートナーを組んで陸上の機械の分野にも展開していきたい」と述べた。 
 

■未来がはじまる


 8月10日。TFCとCMBは“ハイドロびんご”の完成披露式典を尾道で開催した。
 式典には、船主・造船所や尾道市などの関係者のほかに地元小学生らも参加した。TFCの神原潤社長は「本船は試行錯誤を重ね、2年の歳月を費やして完成した。水素という新しい燃料で動くこの船は、CO2排出を抑えることを目的に開発した。児童の皆さんにも新しい船、新しい技術に興味を持っていただき、将来、社会に役立つような仕事をしていただきたい」と挨拶した。子供から記念の花束を受けたドゥ・ビルデルリング・ベルギー王国特命全権大使は「地球の環境問題はこれから皆さんも取り組んでいく課題。水素船竣工がその解決策の一つになることを願っている」と語った。
 この日は、日本中小型造船工業会共催の日本財団「海と日本PROJECT」イベントの一環として、夏休みを迎えた浦崎小学校の児童を招待して見学会も実施した。子供らは披露式典に出席した後、サイクルシップ“ラズリ”に乗船して常石造船の工場や航行するハイドロびんごを眺めるクルージングを楽しみ、ハイドロびんごに乗船。CMBのサベリスCEOが子供たちに「皆さんはこの社会の未来。水素も未来への大きな可能性を秘めており、その未来が今日ここから始まります」と歓迎のビデオメッセージを送った。
 水素社会という「未来」は、まさに〝ハイドロびんご”から始まる。

完成披露式典

地元小学生らが体験乗船した

【ハイドロびんご主要目】19総トン、LBDd=17.16m×5.40m×1.75m-0.75m、試運転最大速力26.0ノット、航海速力23.0ノット、主機HyPenta D13-1000(441kW×2,300min-1)×2基、定員:旅客80人、船員2人

(雑誌『COMPASS』2021年11月号「船のみどころみせどころ」より)