2023年10月25日無料公開記事内航NEXT 内航キーマンインタビュー

<内航NEXT>
《連載》内航キーマンインタビュー㊸
最低賃金から運賃引き上げの流れを
立教大学・首藤若菜教授(交通政策審議会船員部会公益委員)

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 交通政策審議会海事分科会船員部会で公益委員を務める立教大学経済学部の首藤若菜教授は、自身の専門である労働経済の観点から「船員の労働環境改善の原資を得るには運賃アップが欠かせない」と話す。そのための施策案として、最低賃金の引き上げやトラック運送業界のような行政による適正運賃の目安の提示などを挙げた。長期間の乗船や力仕事といった従来の船員の働き方を変えて性別や年齢に関係なく誰もが働きやすい職場とすることで、人材が集まる業界になると説く。

■トラックと内航は「同じ状況」

 — 首藤教授の専門分野と海運・物流業界との関わりは。
 「労働経済が専門で、労使関係の研究を続けている。航空や自動車などのさまざまな業界を調査し、物流分野ではトラック運送業界について研究している。研究内容を『物流危機は終わらない 暮らしを支える労働のゆくえ』(岩波新書)としてまとめたこともあり、自動車運転者の労働時間などの改善のための基準(改善基準告示)の見直しといった仕事もお引き受けした。内航海運分野との関わりでは、交通政策審議会海事分科会船員部会で船員の働き方改革の議論に公益委員として参加させていただいた」
 — トラック運送業界で働き方改革が進められている。
 「大手の陸運会社はいろいろな手立てを打って労働時間を短縮できる働き方を実現している。例えば、福岡/東京は現在陸路で運ぶことが多いが、残業規制の強化がスタートすれば運行が難しくなるので、大阪でドライバーを交代して中継輸送するといった方法がとられている。中継輸送にあわせて車両を大型化し、運べる荷物を増やして経費の増加に対応するなどしてドライバーの給与維持に努める事例もある。ただ、トラック運送業界は中小企業がほとんどで、従業員が10人以下の企業が半分を占める。中小企業でどこまで対応が進むかが大きな課題だと考えているが、私が見聞きする限りでは中小企業での取り組みはあまり進んでいない印象だ。2024年4月から年間の残業時間が960時間までに制限され、4月の時点では大丈夫かも知れないが、年末や年度末に運べなくなる事業者が出てくる可能性がある」
 「労働時間を減らすには投資が必要になる。前述の中継輸送も拠点を増やしたり新たにドライバーを採用する必要があるが、投資できる余裕のある事業者は少ない。運賃を上げて投資できる体制をつくらなければならない」
 「内航海運業界もこれと同じ状況だと認識している。トラック運送業界と同様に内航海運業界も荷主の力が強く、経費が上がっても運賃に転嫁できていない船主は多いと思う。そうなると船員の賃金を下げざるを得ず、船員という職業の魅力が低下して働き手が来なくなる。労働条件改善を運賃アップの推進力にしていくべきだ。運ぶ側の立場が弱すぎることが人手不足や物流の停滞を引き起こす」
 — そのためにはどのような施策をとるべきか。
 「最低賃金を引き上げて運賃も上げざるを得ない状況を作り出すことも重要だ。賃金の引き上げは人手の確保につながる。陸上の最低賃金はこのところ継続して上がっているが、船員は技能・熟練が必要な職業なので陸上以上に賃金を引き上げて運賃アップにつなげることが大事だ。最低賃金の引き上げとあわせて運賃を上げざるを得ないという流れを業界全体でつくることは、荷主への啓蒙にもつながる。賃金の引き上げは厳しいという声を中小企業から聞くが、賃金を引き上げないと中長期的に人材を確保できず、労務倒産ということも起こりうる」
 「他業界の事例も参考になる。トラック運送業界では18年に『標準的な運賃』が導入された。これは、トラック運送事業者が持続的な輸送を維持するために、国土交通省が地域やトラックの種別ごとに運賃の目安額を示したものだ。実際に標準的な運賃と同等の水準で運賃をもらえている会社は少ないが、運賃のあり方の見直しや交渉がしやすくなったとの声も聞かれる。運ぶ代金以外に荷待ちや荷役には別の料金が発生することを意識付けできたのは大きい。こうした制度によって運賃の引き上げを実現するというアプローチも考えられる」

■慣習変え労働時間短縮を

 — 賃金アップ以外で人材確保に必要な取り組みは。
 「内航船員の基本的な働き方は3カ月乗船1カ月休暇で、かなり特殊だと言える。業界に長くいる方は仕方がないと思っているかもしれないが、今、トラック業界はこれまでの慣習を変えようと動いている。例えば、長距離ドライバーは一度の運行で4~5日帰ることができなかったが、中継輸送などで帰宅できる頻度を高めている。長距離輸送に従事することの多い大型車のドライバーの平均年齢は50歳を超えており、若手がなかなか入ってこない現状を踏まえた対策だと言える。社会全体も働き方の見直しに向かっており、内航海運業界だけが変わらなければ社会とのずれが大きくなり、人が来なくなってしまう」
 「トラック業界では共同配送などで他社と荷物を運ぶ体制も生まれつつある。船も往路とは違う船に乗って自宅に帰って休むなど、他社と協力することで船員の負担が軽減されるかも知れない。今までどおりの人材を今までどおりのやり方で確保することは、近い将来できなくなる。さまざまな対策を考えて働き手のパイを広げるべきだ」
 — 現状では女性船員は非常に少ない。
 「男性船員が稼いで専業主婦の妻を養うというのがこれまでの形だと思うが、今後もそれが続けられるのか疑問が残る。15~64歳の労働力人口は1995年をピークに減っており、過去20年間で東京都の人口とほぼ同じ数の労働人口が消えている。しかし、この20年間は働く人の数は減っていない。それは女性と高齢男性の労働力が伸びているからだ。女性を取り込めない業界が深刻な人手不足に陥っている。船員の仕事は体力的に女性には難しいという話も聞くが、女性が難しい作業は男性にとってもきついはず。これから高齢男性もさらに増えていくことを踏まえると、複数人での作業や機械での代替などで誰もができる仕事にしていかなければならない」
 「女性から見ると、船員やトラックドライバーなどの男性の多い職業は相対的に賃金水準が高い。男女の賃金格差はまだまだ大きいので、稼ぎたい女性にとって魅力的な職場であることは間違いない。働きたい人が働ける環境づくりが重要だ」
 「船員は働き方がかなり特殊なので、子育てをしながら働くハードルが高い。女性船員を増やすのであれば、従来の働き方を見直しながら保育所などの整備も進めるべきだ。具体的には、船員の方々の助けになる保育所運営のあり方を行政と相談したり、船員のための保育所を業界団体で設けるなどのさまざまなアプローチが考えられる。こうした取り組みは、女性だけでなく若い男性にとってもメリットが大きい。共働きが増え、男性も育児を担うようになっている。そういった方々の願いを叶えることにもつながるし、働きやすい環境がある業界というアピールにもなる。男性を職場に確保・定着させるためにも育児をしやすい労働環境は必要だ」
 「育児について、陸上で働いている人たちは時短勤務などで労働時間を短くしているが、船に乗るとそれができない。働き方が一律だと育児は難しいので、一時的な陸上職への異動や早く帰宅できる航路に就労するなどの選択肢があることが望ましい。円滑に職場復帰できるよう研修などの制度を手厚くつくる必要もある。病気や介護などで誰にでも休職のリスクはある。短時間勤務などで職場を離れる期間を短くすることが離職を防ぐ」
 — 内航海運をより良くするためのアイデアは。
 「社会のインフラである物流業を維持していくのは社会が経済活動を維持していくためだということをもっと主張していいのではないか。安い賃金でモノを運んでもらっているにもかかわらず、社会ではそれが実感として見えていない。トラック運送業界では、2017年に宅配クライシスが起きてやっと認識された。2024年問題はトラックドライバーの時間外労働規制に端を発したものだが、海運業界でも人手不足は深刻な問題。こうした状況をある意味チャンスと捉えて価格交渉につなげて労働環境を整備し、持続可能な体制をつくっていくべきだ。内航船員は社会全体のために長期間家に帰らずに働いてくださっているが、一般の消費者や恩恵を受けている荷主すらその実態をほとんど知らない。業界団体や私たち研究者を含めた関係者がもっと知らせていくべきだと常日頃思っている」
(聞き手:伊代野輝)

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