2023年9月5日無料公開記事内航NEXT
内航キーマンインタビュー
<内航NEXT>
《連載》内航キーマンインタビュー㊶
DXで航行安全や船員負担軽減図る
松田汽船、松田社長に聞く
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松田ユフル社長
内航ケミカル船など運航する松田汽船(大阪市)は、DX(デジタルトランスフォーメーション)化を進めて、船舶の航行安全や船員の負担軽減につなげていきたい考えだ。効率性を上げて生まれた時間で、陸上スタッフが訪船して船員とコミュニケーションをとることも狙い。松田ユフル社長は「これからもDXを活用した体制を整えていきたい」と積極的に取り入れていく方針。
■相生で創業
— 創業からについて。
「1906年(明治39年)、兵庫県相生市で初代社長の松田三治郎が松田回漕店を立ちあげたのが創業だ。播磨船渠(現JMUアムテック)の資材運送や作業員を輸送する渡船を行っていた。その後、高松/相生間で貨客船を運航してお遍路さんを運んだりした。岡山県の日生から阪神へも貨客輸送を行っていた。1933年(昭和8年)には当社初の新造船“第1祥保丸”(150重量トン)を播磨造船所(当時)で建造したが、後に太平洋戦争で船が徴用されたこともあって、貨客船部門は廃止した」
「三治郎は田渕海運の創業者、田渕岩太郎社長と交流があり、同社が住友肥料製造所(現住友化学)の海上輸送の元請だったことから、1929年(昭和4年)に新居浜から大阪へ硫酸を輸送する仕事を請け負ったのが当社の化学品輸送の始まりだ。硫酸を輸送するのに、最初は木船での瓶詰輸送から造船所のボイラーのタンクを搭載し、バラ積みに変えて輸送していた。硫酸の輸送から始まり、ホルマリン、メタノール、アクリロニトリル、塩酸、苛性ソーダなどタンクを積み替えて運んでいた」
— 事業も広がってきた。
「本社は相生だったが、出荷地の新居浜での仕事が増えてきたので、1956年(昭和31年)新居浜に出張所(現新居浜支店)を開設した。58年(同33年)に松田汽船株式会社を設立した。新居浜から大阪に貨物を運んでおり、大阪港の桜島に事務所を借りて65年(同40年)に大阪出張所とした。その後、荷主の大阪本社とのやり取りが増えてきたため、当社も相生から大阪に本社を移した。相生の本家の住宅は現在、兵庫県の景観形成重要建造物の指定を受けている。東京の顧客との仕事も増えてきたので、2004年に東京営業所を開設した。06年に創業100周年を迎えた」
■12隻を運航
— 取り扱っている貨物や船種は。
「硫酸から始まったが、現在は塩酸が主要貨物で、専用船を5隻運航している。塩酸を輸送している内航船は16~17隻なので、当社のシェアがもっとも多い。70年代から汎用ケミカル船を運航するようになり、現在の運航船は、ケミカル船6隻、塩酸専用船5隻、水硫化ソーダ専用船1隻。水硫化ソーダ専用船は国内で2隻しかなくて、そのうちの1隻だ。12隻のうち社船が9隻、用船3隻だ」
「私が入社したのはリーマン・ショックの2008年だった。リーマン以前、当社は500トンや600トン積みのケミカル船を運航していたが、1000トン積みは保有していなかった。業界では1000トン積みの499総トン型ケミカル船はすでに存在し、当社も運航しないとケミカル船業界で生き残れないと思って造ったのが、“日祥丸”(03年)、“旺祥丸”(04年)、“隆祥丸”(08年)の3隻だった。最初の2隻が就航したときは貨物もあったが、3隻目の“隆祥丸”が引き渡されたときはリーマン・ショックで貨物もなくて係船を余儀なくされ、融資の借入を受けてなんとか船団を維持できた」
「だが、そのときチャレンジしようと思って1000トン積みケミカル船を造ったからいまがあると思っている。大型船の導入が遅れれば、もっと船価が高くなっていた。船がなければ貨物は運べず、顧客に『何年後かに船を用意するので運ばせてください』と言っても何の意味もない」
— コロナ禍での輸送状況は。
「コロナ禍が始まった20年春は緊急事態宣言で自動車関係の工場も停止し、当社の貨物輸送も一時減少した。しかし、テレワーク対応のアクリルや樹脂関係の需要、パソコンの買い替え需要もあり、7月から輸送量はコロナ以前の85~90%で推移した。直近の輸送量はエチレン生産量の推移も低稼働な状況が続いており、昨年夏頃からは芳しくなく、今年下期に回復してくれればと期待している」
■船と陸とのコミュニケーション
— 代替建造計画や新燃料について。
「船齢20年を過ぎる船もあるが、業界では30年近く使われるケミカル船も増えている。新燃料はいまは判断できない。船にどうやって供給するかという体制も課題だ。国に大きな方針を立ててもらい、ロードマップを作ってもらいたい」
— デジタル化はどうか。
「運航管理のデジタル化を図るアプリケーション『Aisea PRO(アイシアプロ)』(アイディア社)を運航する全船12隻に導入した。船内カメラも全船装備した。コロナでテレワークが普及したので、在宅でも情報共有するために取り入れた。これからも船の情報をなるべく陸上で把握できる体制を整えていきたい。トラブルが起こる前に気付けるよう、事前にアラートが出される安全管理体制を構築し、船員の負担軽減にもつなげていきたい。以前は書類のやりとりはFAXが多かったが、ペーパーレスなど環境への配慮も含め、陸上から船舶への指示書や各船からの動静報告などはiPhoneやiPadのiCloud機能を活用してデータ共有を図っている」
— 船員のデジタル化への対応状況は。
「1~2年前から始めたが、徐々に慣れてきてもらっている。コロナでデジタル化に社会全体が対応を迫られた。DX化の取組み方はさまざまである。効率化を図り、生まれた時間を訪船にあてて船員とコミュニケーションをとるとか安全や営業面に生かしたい。船と陸とのコミュニケーションは大事だ。船員にとって負担となっている部分を陸上で補えるよう、DXを活用した体制を整えていきたい。船のデータを陸上で共有し、部品交換やトラブルの未然防止にも活用することはできないか、新造船から考えたいと思っている」
— 今後の方針は。
「言うまでもなく安全は最優先である。無事故・無災害の輸送で社会に貢献する。また課題に対して一つ一つ解決策を見出していきたい。地道にコツコツやるしかないと思っている。顧客と船(乗組員)との橋渡しをするのがオペレーターの役目であり、双方ともに信頼関係を構築していきたい」
(聞き手:坪井聖学)