2023年5月12日無料公開記事内航NEXT 私の1隻

《シリーズ》私の1隻“第二しょうどしま丸”
離島航路から島国日本の生き方学ぶ
全日本内航船員の会、松見準さんの1隻

  • X
  • facebook
  • LINE

第二しょうどしま丸

 内航海運産業を応援する活動を展開する「全日本内航船員の会」の松見準事務局長が選ぶ「私の1隻」は、四国フェリーグループの“第二しょうどしま丸”。高松港と小豆島を結ぶ同船は、内航海運を応援する松見さんが日本国内の離島航路や島々について深く考えるきっかけとなった船だった。

* * *

 私はかつて、内航貨物船の船員として勤務しましたが、内航船員がなぜ定着しないのかということに問題意識を持ちました。まず、内航海運や船員について市民社会に知られていないことが一つの問題だと思いました。情報発信する技術を得て、内航海運産業を応援する活動がしたいと考え、船を下りました。現在は広告デザインの仕事をしながら、「全日本内航船員の会」という名前で応援活動を行っています。例えば先日、海技教育財団主催の「内航船員教育関係者連絡会議」で講師として、内航船員の離職原因を分析した上で解決策を提案しました。船員の目線から内航海運を良くしていきたいという思いで活動しています。
 “第二しょうどしま丸”は、内航関係の仕事をしていた時に知り合った小豆島のおばあさんを訪ねるため、2015年に初めて乗船した時が初めての出会いです。その後も毎年のように、同船に乗って小豆島に行くようになりました。島の生活や歴史、文化、航路維持の問題などを直接目にしたことで、内航海運が抱える課題の中でも離島航路について強い問題意識を持つようになり、真剣に考えるようになりました。私が毎年7月15日(=ナイコー)の“内航船の日”に合わせて開催しているイベント「海から届ける写真展」の2016年の看板にも、離島航路を支える船として紹介しようと“第二しょうどしま丸”を使わせていただきました。
 初めて訪れた際、四国・本州からの橋や飛行場もなく、耕地面積も少ないため自給自足が困難な小豆島が、今も大きな人口を抱えていることに驚き、どのように生き残ってこられたのか疑問に思いました。歴史を調べてみると、お伊勢参りに行った島民が素麺づくりを学んで帰ってきて、島独特の手延べ素麺を誕生させ、九州へ塩と素麺を移出し、素麺の原料となる大豆や小麦を九州から移入するというサイクルで、島を成長させていったことが分かりました。また、小豆島は石材の輸送で自前の海上輸送能力も発達させており、大消費地である大阪や京都といった地理的な位置関係も「地の利」として生かすことで発展していったことも知りました。
 小豆島をきっかけに、さまざまな離島航路にも興味を持ちました。多くの離島航路にはそれぞれに歴史があり、その始まりには本土の生活の発展に遅れまいとする島民の強い志がありました。島の有力者が住民と私財を出し合い、小船からスタートしてだんだん大きくしていった航路もあります。それぞれに成功や失敗があっても、それはわれわれ島国に生きていく住民にとっては貴重な教訓や資料になるものです。どの挑戦にも根底には、「島がどのように豊かに発展し、生き残っていけるか」ということを考える自覚があり、この自覚が重要なことだと感じています。
 離島を知ることは、アジアの中の島国である日本の生き方を知ることと同義だと思います。地域社会と密接につながっている離島航路は、非常にわかりやすく貨物船を動かす仕事の使命や役割を再認識させてくれます。しかし足元では、離島航路の維持も大変な状況となっています。先日、四国フェリーグループの人から、離島航路でも内航貨物船と同じく船員不足が深刻で、減便にまでなっているとお聞きしました。船員を集めるため、4日乗船して2日休みの勤務体制に変更し、誰でも勤務できるように島に寮も作って頑張っているとお聞きしました。離島航路を守ることの自覚は、外航を含めた島国日本の物流を守ることと同じことです。離島航路を守れなくて、どうやって外航物流も維持できましょうか。はるか昔の小豆島の先人たちにそう言われているような気がします。
 “第二しょうどしま丸”は離島航路の重要性のみならず、島国日本がどのように生きるべきか、考えるきっかけをもらった1隻になりました。これからも内航海運を応援する活動を続けつつ、「島国日本はどのように生きていくべきか」ということを考え続けていきたいと思います。
(聞き手・構成:中村晃輔)

【主要目】全長71.85m、型幅14.3m。旅客定員421人、乗用車積載台数52台。讃岐造船鉄工所建造。2003年竣工

松見準事務局長

関連記事

  • カーゴ
  • Sea Japan 2024 特設サイト