座談会参加者(氏名五十音順)
日鮮海運社長 阿部克也氏
BEMAC社長 小田雅人氏
今治造船社長 檜垣幸人氏
(司会)海事プレス社 中村直樹
規模拡大、次が課題
― 海事都市・今治について振り返っていただきたい。この20年間の今治海事クラスターの変化をどのように見ているか。
阿部 規模が拡大して仲間が増え、他業種の人も興味を持って船主業に参入してきた。船種、船の大きさ、隻数も増えた。昔は今治の保有船は600隻くらいだったが、今は1200~1300隻規模で2倍になった。
檜垣 隻数では2倍で、コンテナ船など船型が大きくなっているので、総トン数では3~4倍になっていると思う。
阿部 ただ、規模は増えたが、ここから先をどうするかが大きなテーマだ。もう少し拡大して前に進めるにはどうするか、今大事な時期に来ている。邦船社向けの案件が減っており、二元燃料船などの案件はあるものの、いまの1200~1300隻をリプレースするにはそれでは足りない。海外にも案件を求めていかないといけない。今後が腕の見せ所、知恵の出しどころだ。
小田 規模は間違いなく増えた。また、熱いものが集まると、冷たいものがいても平準化せず熱いまま留まるという『マクスウェルの悪魔』のように、今治には熱い人や会社がどんどん集まってきており、熱い状態を保っている。今治を中心に新しい技術やプロジェクトをやれば社会実装のスピードも上がる。
檜垣 今治市は合併時の人口が18万人だったが、この20年間で15万人に減った。その中でも各社が業容拡大したのは稀有なこと。人口減少下でも各社がグローバルに活動して業容を拡大してきたことが、今治の海事産業のすごさだ。ただ、阿部社長がおっしゃったように、いまの1200隻の次のリプレースをどう行うかが課題。また、この人口減少を食い止めないといけない。われわれも頑張って、人口が増えるくらいの街づくりをしていきたい。
サッカーとサイクリングがツールに
― 今治は全国的な認知度も高まった。この20年間の今治で印象的な出来事は。
阿部 1つはFC今治。世界的な著名人の岡田武史さんが来てから変わった。もう1つは、海事展バリシップで、2009年から始まり、もう15年にもなる。人口は2~3万人減っているが、今治には世界中から人が訪れるようになった。国際自転車大会『サイクリングしまなみ』にも、海外から業界関係者が参加してくれる。私も大会の前後にアポがすごく入る。彼らも高揚して来られるので、船を決めるチャンスになる(笑)。
檜垣 サイクリングしまなみでは、海外のオペレーターの社長などが一緒に走ってくれる。この場で商売ができるし、阿部さんのおっしゃる通り、高揚感で少し良いレートがもらえるかもしれない(笑)。四国はお遍路さんがあるのでおもてなしに慣れており、サイクリングの途中でも、レモンポークサンドウィッチやジュレなどいろいろと出て、フィニッシュランチにも焼き豚卵飯や鯛めしが出るので、なぜか走り終わると体重が増えている(笑)。こういうことで町が盛り上がってきて、良いことだ。
阿部 FC今治のスポンサーにも海外企業が入ってくれている。サイクリングもサッカーも、われわれのビジネスと無関係ではなく、むしろ、これが一つのビジネスのツールになっていると思う。
小田 サッカーで岡田さんが来たことは今治にとって大きかった。最初の歓迎会で岡田さんが、今治にはポテンシャルがあるとおっしゃった。海事産業とタオル産業があり、山と海の自然がある。ここにスポーツの味付けをすると、とんでもない変革が起こると言っておられ、いたく感動して、当社はすぐスポンサーになった。
檜垣 当社はFC今治にはじめはちょっと距離があったのだが、2年経った頃に岡田さんが来られて、今治造船がスポンサーにいないのは困りますよと言われて、そこまで言っていただけるならやりましょうと参加した。今では信奉者の一人だ。あれほど人間的な魅力のある方が来て、街を盛り上げてくれたのは今治にとって大きな出来事だったと思う。
小田 バリシップもすごい海事展と思う。海外の海事展は通常、舶用メーカーが船主や造船所に今の技術を発信する場だが、オーナーや造船所が自らリードして、どんな展示会にしようかと話をしている海事展は、バリシップ以外には世界にない。以前、しまなみ海道が開通したときに尾道側と今治側でたくさんイベントが開催されたが、当時イベントプロデューサーが『尾道側は盛り上がるが今治側は盛り上がらない』と話していた。かつての今治は、それぞれの町が独立していてまとまりがなかった。これがバリシップでまとまったと思う。
檜垣 FC今治、バリシップ、サイクリング。やはりこの3つは大きい。バリシップもそうだが、タオル産業の人たちも一緒に参加することで、町の一体感が出てきた気がする。
阿部 バリシップは展示会場を今後どうするかというテーマがあるが、海事都市交流委員会では、自分たちでコンベンションセンターを作ろうとか、今治港を子供たちが遊べるような港にしよう、といった意見が出るようになった。以前は皆、自分のことだけでなかなかそういう声は出なかったが、今は寄付も含めて、皆でまちづくりを進めようとの声が上がるようになった。これは大きな変化で、嬉しいことだ。
― 市民の海事産業への認知度も高まったか。
檜垣 今治の地場産業としてタオル産業があるが、地元で海運・造船に入ろうと思ってくれる若者がいるのは、それだけ認知度が上がったからだと思う。
阿部 地元だけでなく、ネットで調べて遠くから入社したいと人が来ることもある。当社も盛岡から来た社員がいる。バリシップなどの活動が少しずつ実を結びつつあるのかなと思う。また、われわれ海事産業は一般向けの産業ではないので、以前は行政も関心が薄かったが、造船・船主・舶用が今治の相当のウェイトを占めていることを分かっていただき、いまは市長や議員、職員まで、海事産業が今治の土台だ、海の人がよく頑張ってくれていると口に出してくれるようになった。われわれも人間だから、そう言われれば、意気に感じる。これも変化だと思う。
小田 海事産業への認知はかなり上がってきたと思う。造船所が進水式に子供を招待したり、海事産業自身も変わってきた。今後は、もっと地元の人の実感を高めてもらうにはどうすればよいかがテーマ。海事産業の調子が良いと言われるわりに、地元の人が『私らは恩恵がない』というのではいけない。例えば、今治全体の賃金が上がったり、お金が循環するなりして、実感してもらえればと思う。