2025年1月10日無料公開記事海事都市今治の20年

《新連載》海事都市今治の20年
20年で「3倍」、多様化・国際化も
【座談会】日鮮海運×今治造船×BEMAC①

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船主・造船・舶用の立場から海事都市今治市の20年をどうみるか

2005年、愛媛県の今治市、波方町、伯方町、大西町など船主・造船所が集積する12市町村が合併し、世界有数の海事都市・今治市が誕生した。それから20年。「海事都市・今治」の誕生20周年を記念し、船主・造船・舶用・金融・商社のトップに、今治市の20年と今後の展望について聞く。まずは、今治海事クラスターを代表する日鮮海運・阿部克也社長、今治造船・檜垣幸人社長、BEMAC・小田雅人社長の3人に座談会で、20年前からの自社と今治の変化や、今後の目指すべき方向などを語っていただいた。
 
座談会参加者(氏名五十音順)
日鮮海運社長 阿部克也氏
BEMAC社長 小田雅人氏
今治造船社長 檜垣幸人氏
(司会)海事プレス社 中村直樹
 

規模が3倍に


― 新生今治市の誕生から20年。自社の過去20年を振り返っていただき、最も大きく変わった点は何か。

今治造船・檜垣社長

檜垣 当社はおよそ20年前の西条工場竣工時に比べると、売上高は3倍、建造量も平均で3倍に拡大した。かつて当社の建造量はグループで年120万総トン程度だったが、今は350万総トン。ピーク時には530万総トンにも達した。特にこの20年間は、規模拡大へM&Aを積極化しており、ちょうど20年前の2005年がしまなみ造船と新笠戸ドックをグループ化した年で、その後2008年にハシゾウと西造船を合併してあいえす造船を作り、2009年からは新笠戸で新造船を建造し、あいえす造船も新造船に切り替えた。その後に多度津造船と南日本造船もグループに加わった。

また、この過程で、高付加価値船にも進出した。LNG運搬船を建造し、コンテナ船では当時世界最大だった1万4000TEU型、その次に2万TEU型を建造し、2023年にはついに2万4000TEU型を建造できた。これが20年間で大きく変わったことだ。。

日鮮海運・阿部社長

阿部 今治造船が3倍とのことだが、当社も20年前に比べて船隊規模がほぼ3倍になった。また、以前は伯方島の5~6社の仲間でいつも一緒に仕事していたが、この仲間がいまは15~16社へと3倍に増えた。もともと外航船を手掛けていた船主もいるが、内航船と近海船の船主も外航の仲間に加わった。

会社の内容として大きく変わったのは、コンテナ船の存在だ。かつては船隊の8割がバルカーで、冷凍船やアフラマックス・タンカーも一部にあったが、コンテナ船は4~5隻を持つ程度だった。今はコンテナ船が大黒柱で、船隊の三分の一を占めるようになった。コンテナ船は他船主が先を走っており、当社は後からのスタートだったが、今はライナーが主になった。

檜垣 当社が建造したエバーグリーン向けの2万TEU型も、日鮮海運に保有していただいた。

阿部 ケープサイズやVLCCなどの大型船がわれわれ船主にとって1つの最終的なチャレンジと思うが、2万TEU型はさらに船価が高く、是非挑戦したい船種だったので、タイミングが合って保有させていただいた。

― 規模拡大と船種の多様化が共通した変化といえる。

BEMAC小田社長

小田 当社が20年で一番変わったと思うのは、人材と拠点がグローバル化したことだ。初めての海外拠点として2004年にベトナム・ハノイに製造拠点、中国・大連にソフトウェア開発の拠点を置いたが、その後にシンガポールと上海にアフターサービスセンター、フィリピンにEVの製造拠点、オランダに営業拠点を設けた。さらに2024年2月にフィンランドのスイッチ社を取得した。

また、お二人から3倍とのキーワードがあったが、当社の場合は従業員が20年前の約700人から、いまグループ2200人で3倍に増えた。また、このうち34%、700人ぐらいが海外社員で、20カ国の国籍の社員がいる。日本人駐在員には、覚える語学は英語だけではなく、なるべくグループ社員に近くなれるように現地の母国語を覚えるようにと勧めている。 

― 海外展開も大きな変化だ。

檜垣 当社の場合は2003年に大連にブロック工場を立ち上げたが、造船所は国内が中心だ。ただ、やはり当社も昔に比べて海外の人材が増えた。フィリピンや中国などからの特定技能や実習生が増えて、ピーク時には海外人材が1500人くらいいた。また海外という点では、この20年で顧客がかなりグローバル化したことも大きな変化だ。

阿部 当社もチャータラーの海外比率が増えた。邦船社にも引き続きお世話になっているが、用船の短期化志向や、新燃料が長期用船の条件になるなどの変化もあり、われわれが動きづらい状況が続く中で、海外に用船を頼らざるを得ない部分が増え、比率が高まっている。

― 規模の拡大、多様化、グローバル化が、今治のこの20年の変化といえそうだ。
 

過去20年の転機は


― では、この20年間で自社にとってターニングポイントとなった出来事は何か。

檜垣 当社の場合、2015年にエバーグリーンから2万TEU型コンテナ船を11隻受注したことが大きな転機だ。11隻のロット建造になると、1年間で全船を引き渡すには建造キャパシティが足りないため、丸亀事業本部の新ドック建造に着手することになった。2017年にドックが完工し、これ以降は連続して大型コンテナ船の建造ができるようになった。ちなみに、このプロジェクトは用船商談だったが、正栄汽船で保有しきれないため、もし受注できたら一部保有してもらえるかと阿部社長に相談していた。全船受注できることになり、阿部社長に慌てて電話をしたという思い出がある。

阿部 そうだった。伯方島のグループの船主で共有している。当社のターニングポイントも、ライナーの仕事が増えたこと。バルカーは数隻ごとの商談だが、コンテナ船は10隻単位のロットになるので規模がかなり大きい。これによってライナーの取引先が増え、オペレーターの懐に少しずつ近づけるような立場になってきたことが一番大きな転機となった。また、先ほど話の出た2万TEU型やLNG船などを伯方島の仲間たちと共有したことも、当社にとってのターニングポイントだ。この5~6年のことだが、これにより仲間たちとの関係がこれまで以上に深くなり、これから先の新燃料船など、シンボリックな船は仲間と共有していこうとしている。

小田 当社もこれから先の大きな転機となりそうな出来事がある。パワーエレクトロニクス分野への進出だ。もともと当社はアッセンブリーと電気工事が主体で、得意分野は、小さな容量の電気『弱電』と呼ばれる分野だった。10年以上前からパワエレの技術を取得したいとずっと思っていたが、この分野は人材が自動車産業や再エネなどの中に限られており、当社は採用も育成も困難だった。6~7年ほど前に、中心となる人に入社していただき、ようやくスタートを切ることができた。内航船の電気推進に力を入れているが、これに加えて大型船向け軸発電機のスイッチ社もグループ化したので、トータルのエネルギーマネジメントができるようになった。これからの新エネルギーの時代に、当社のターニングポイントになると思う。(つづく)

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