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2025年9月30日無料公開記事プラザ合意から40年

《連載》プラザ合意から40年<下>
日本造船、国際競争力の転換
円高で弱まった基盤、回復できるか

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日本造船業は円高のたびに厳しい競争環境にさらされた

 1945年の終戦から今年は80年。そのちょうど中間地点にあたる1985年のプラザ合意は、日本造船業にとっても折り返し地点だった。日本が造船で世界トップに成長を遂げた時代から、韓国・中国との国際競争へと場面が転換する中、円高相場は日本造船業の国際競争力に影を落としてきた。為替は、造船経営の最重要課題の1つであり続けた。

「入社間もない頃のことだが、当時のことはよく覚えている。8月の三光汽船の会社更生法申請直後で社内が騒然となっている中で、プラザ合意が発表された。若手ながら大変なことになった、と思った」。ある造船所営業OBは、振り返る。

1985年。大規模な新造船発注を進めていた三光汽船と香港のCHトングループが倒産した。日本造船の大口顧客の破綻に追い打ちをかけるように発生したのが、9月のプラザ合意だった。円相場は1ドル=237円から、年末に200円、翌年には150円へと急騰していった。

円高により、造船所はドル建ての既受注船や延べ払い債権で、大規模な損失が発生。当時はインパクトローンによって為替変動の一部軽減を図っていたが、十分にカバーできるものではなかった。為替対策のため円建てで契約していた新造船も、海運不況も相まって船主から値引きを要請された。

円高危機という点では、1971年のニクソンショックとその後の変動相場制への移行時の方が、日本造船業にとっての直接的なダメージは大きかった、との見方もある。この時は輸出船の大半が延べ払いで、日本造船として2兆円の外貨債権を抱えていたからだ。だが、当時は直後のタンカーブームによる空前の好況で、為替差損は吸収された。これに対し、プラザ合意は不況下での円高であり、日本造船業にとっては重層的な危機をもたらした。

なにより、ニクソンショックとプラザ合意以降の時代では、決定的な違いがある。それは競合国の存在だ。世界を席巻していた1970年代の日本造船業にとって、円高とはある意味では国内問題だった。だがプラザ合意以降は、為替変動が韓国・中国という競合国との競争力の差に直結するようになった。

「韓国で1970年代初めに造船大手3社が誕生し、彼らが力をつけてきた時点で日本円を狙い撃ちしたプラザ合意はタイミングが悪かった。さらに87年の第2次設備処理で『敵に塩を送る』形になった」と造船経営OBは語る。

日本造船業は、円高不況で87年に第2次設備処理で能力20%の削減に踏み切った。縮む日本を尻目に韓国は設備拡張に踏み切った。さらに、この設備処理で退職を余儀なくされた日本の優れた造船マンの一部が韓国に渡ったことと韓国の技術的飛躍と結び付ける意見も根強い。その是非はともかく、少なくともプラザ合意後の円高危機と不況対策が、日本の造船大手の力を弱めるきっかけになった点での認識は業界内で一致している。

プラザ合意以降、日本円は1ドル=90~120円のレンジを中心にして長年、上下を繰り返した。「90年代以降は、円高に振れるたびに日本の長年の顧客が韓国や中国に流れることが繰り返されてきたという印象だ」と営業OBは振り返る。別の営業マンも、「造船は『為替との戦い』というより、やはり『韓国・中国との戦い』。円高時は韓国との競合商談で苦しかったし、直接競合しなくても彼らが提示する船価がマーケットを下げて、そこに合わせるのが厳しかった」と述懐する。

プラザ合意は日本の製造業の海外移転を促したが、造船業は限定的だった。プラザ合意の10年後、円相場がついに1ドル=100円割り込んだタイミングで川崎重工と常石造船が海外に進出したが、これ以外の造船所は、国内生産・国内調達を維持してきた。この結果、日本の造船業は円建てコストが中心で、価格競争力は円相場とリンクしてきた。

為替変動は造船業の業績にも大きな影響を及ぼしてきた。造船所は為替予約やオプション、建造契約の円建て化によって為替変動リスクのヘッジを進めるが、急な円高によって利益が吹き飛ぶこともしばしば。この半面、円安の「神風」によって一転して業績が急回復することも何度もあった。ある造船OBは、為替変動で造船の精神的マイナス面がもたらされた可能性を指摘する。「製造業で100万円のコストダウンを実現するのは大変なことだが、1円の為替変動により売上高が何千万円も上下することが経営で常態化した。こつこつ努力すれば報われるという考え方が否定されたように感じた」。別の造船関係者も「製品開発やコスト競争力強化よりも、いかに為替とマーケットを読み切るかが勝負になっている。製造業でこんな業種はない」と指摘する。

昨年、日本円の為替は一時、1ドル=160円となり、プラザ合意直後の1986年12月以来、37年半ぶりの円安・ドル高水準を付けた。日本造船業も、この円安の恩恵で久しぶりの好業績をあげる。だが、40年の円高で損なわれた顧客基盤や国際競争力がただちに回復できたわけではない。国として造船業再生の機運が高まる中、歴史的な円安水準が後押しとなるかどうか。プラザ合意40年目で、日本造船は次の転換点を迎えようとしている。
(連載おわり)

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