今治造船がジャパンマリンユナイテッド(JMU)を子会社化することを決め、常石造船が三井E&S造船(現・常石ソリューションズ東京ベイ)を完全子会社化した。日本造船業ではこれあまで、「建造規模」を強みとする専業造船と、「技術力」を武器とする総合重工が、それぞれの強さを持ち寄って協力する戦略が主流だった。だが、中核となる専業造船が、規模をさらに拡大しつつ、技術もグループ内に取り込む構造へと転換する。中国造船業が圧倒する時代を迎え、日本は専業造船が主役となる業界構造が、次の転換の場面に差し掛かっている。
「2025年6月」は、日本造船業の歴史の中でも、特に記録に残る月となりそうだ。
19日、今治造船の檜垣幸人社長が、日本造船工業会の約80年の歴史の中で初めて、財閥系総合重工以外から会長に就任した。その1週間後の26日、今治造船は、総合重工系造船4社の統合会社であるジャパンマリンユナイテッド(JMU)の出資比率を60%に高めることで合意した。そして月末の30日には、常石造船が三井E&S造船を100%子会社化し、社名を「常石ソリューションズ東京ベイ」へと改めた。
かつて「造船中手」と呼ばれたオーナー系の専業造船所が、名実ともに日本造船業のリード役になったことを象徴する出来事が相次いだ。同時に6月には、政府と与党・自民党がそれぞれ、造船業を経済安全保障上の重要産業と位置付け、大規模支援を行う方向を正式に表明した。日本造船業の様相が一変した一カ月だった。
もっとも、総合重工から専業造船への事業シフトは、近年の日本造船業で続いてきた大きな流れでもある。大島造船所は、三菱重工業の中核造船所だった長崎・香焼工場を譲り受け、昨年、同工場での1番船を竣工した。三菱重工業が香焼工場で手掛けていた大型ガス船建造事業は、現在、名村造船所がLPG船事業として引き継いでいる。
さらに遡れば、名村造船所は、かつて「準大手」と称された佐世保重工業と函館どつくをグループ傘下に収め、大手造船の牙城だった艦艇市場にも、修繕分野で進出した。今治造船、常石造船、大島造船所、名村造船所といった「新しい造船大手」へと、産業の軸は確実に移ってきていた。
振り返ると、この20年ほどの日本造船業は、「規模の専業、技術の総合重工」という構図がキーワードだった。
かつては三菱重工業を筆頭とする財閥系の総合重工造船が、「造船大手」として技術と規模で日本と世界の造船業をけん引してきた。しかし、今治造船に代表される専業造船が、積極的な設備投資やバルカーを軸とした標準船型の量産体制によって規模を拡大し、総合重工を凌駕する存在になった。一方の総合重工系は、社内の技術研究所や多数の研究者、グループ内の総合技術力、システム・インテグレーション能力といった、「技術力」に活路を求め、建造規模は大きく縮小した。
そして過去10年は、総合重工と専業造船が、「規模」と「技術」というお互いの強みを組み合わせて協力するモデルが広がった。今治造船とJMU、常石造船と三井E&S造船はそれぞれ資本関係を結んで事業提携し、三菱造船は大島造船所や名村造船所、今治造船と幅広く連携した。大手と専業の協力。これが日本造船業の新たな時代の戦い方になったとみられていた。
だが今となっては、このモデルも過渡期ならではの形に過ぎなかったのかもしれない。競争相手の中国船舶集団(CSSC)と韓国のHD現代は、巨大な建造設備を持ちながら、上海交通大学やソウル大学の船舶工学科などを卒業した優秀な技術者を1000人規模で擁し、グループ内にはプロペラやエンジンといった舶用機器事業も抱える。「規模も技術も」兼ね備えた海外の巨大造船グループと競うには、水平分業的に部分協力する戦い方には限界があった。
今治造船がJMUを実質的にグループ化し、常石造船が旧三井E&S造船を完全子会社化したことで、日本にも再び、「規模も技術の両方を持つ」造船グループが生まれることになる。
その変化は、すでに具体的な形で表れ始めている。国の経済安全保障重要技術育成プログラム(Kプログラム)で採択された、次世代船開発技術の研究プロジェクト。ここでは、常石造船が研究テーマのうちの1つで中心的な役割を担う見込みだ。大阪大学で始まった、造船設計への人工知能(AI)活用を目指す共同研究講座「先進海事システムデザイン共同研究講座(阪大OCEANS)」では、今治造船がリード役の1社として参画している。
再びの構造転換を経て、日本の造船業界は、規模と技術の両面で世界と戦える存在に戻れるか。その行方が問われている。
(対馬和弘)