2017年3月3日
(237)自衛艦派遣ならず
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本欄前回で、相浦紀一郎氏の社長就任は苦渋の日々の始まりだったと書いた。
氏が副社長3年を経て社長に昇格したのは1984年(昭和59年)。明けて85年(昭和60年)の2月18日、ペルシャ湾でコンテナ船“アル・マナク号”が被弾するという事件が突発した。日本船主協会の資料に同船は「わが国の労務提供船」と記載されているが、正確にいうと湾岸5カ国(クウェート、バーレーン、カタール、サウジアラビア...
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